何かを行う際に、知識労働者と肉体労働者という定義がある。一般的にはそれを知識を使う脳を中心とした仕事を行う人を知識労働者と思い、そうではなく身体を中心とした仕事を行う人を肉体動労者としていることが多い。
しかし本質はそうではなく、如何に自分を自分で管理し効果があることに適切に自らを使うことができるかという意味を指している。
それは知識と肉体に限らず、自らを自己管理しマネジメントすることができるかどうかということを指している。なぜなら自分がどうしたいかを決めたらそこから逃げずに遣り切る以上、やるならもっとも全体に効果があることを優先していかなければ意味はないと自律しているからできるというものでもある。
自分の人生を楽しみ、みんなのお役に立てる幸せを感じるためにも必要なことだ。
それは利他の心でもっとも自分の強みをみんなのために活かしていこうとすることであり、自分がみんなにとってどんな役割を果たせるのかを考え抜くからこそ自分にしかできないことでお役に立てる確信を持ち働くことができるというものだ。
これをP・F・ドラッガーはこういう言葉で例えている。
「知識労働者を直接、あるいは細かく監督することはできない。彼らには助力を与えることができるだけである。知識労働者は自らをマネジメントしなければならない。自らの仕事を業績や貢献に結び付けるべく、すなわち成果を上げるべく、自らをマネジメントしなければならない。」
と書いている。
これは、自分が全体に対して何をすることがもっとも善いのかを考えて行動していこうとするのは自分自身なのだと告げている。
そして、それがみんなのためになっているかどうかに結び付けるためにも常に自分の心と体と併せた技術を駆使し取り組まなければ成果がでないということを話している。そのための手段としてチームワークがあるのだ。素晴らしいチームは個々の善いところが光っているからだ。
偉大なことをやることは一人の力ではできはしない、だからこそ自分がみんなにとってどんな役割を果たせるのだろうかと自分自身が考え抜きそれをみんなのことを思いやりながら一緒になってやり遂げる。
困ったことは自らが心を開いてリーダーや仲間を頼り、責任をもって遣り切ることで自分の役目を全力で果たすことがもっとも自分の強みを活かしたということになるのだろうと私は思う。
また、こういうことも書いている。
「もし企業が起業家活動の中心であるとするならば、そこに働く知識労働者はすべて起業家として行動しなければならない。知識が中心的な資源になっている今日においては、トップマネジメントだけで成功をもたらすことはできない」(『創造する経営者』)
今の時代はこうやって自分自身をより最大限に活かすことで社会の中で起業していこうと新しい価値観を常に自分自ら表現する時代になったのだから当然、組織のトップだけが指示したりするマネジメントだけでは成り立たず、当然そういう新しい価値観を時代にあわせて表現する組織の人物たちがそれぞれの自分の強みを活かす起業家として行動しなければならないという。
つまりは自分自身を光らせていくのは何よりも自分自身なのだということを自覚することである。
それは自分のためにやるのではなく、みんなのために自分をよりよく活かしていこうとみんなを思いやっていく心の姿勢からスタートすることをいう。
余裕をなくして、心を亡くすと大事なものの優先順位が下がってしまう。そうならないように、いつも日頃からその人と仲良くなり人間関係を築きあげるほうを大事にしていくことだと思う。
まず人は、人との関係を創るところから自分にとっての安息地を持つことを大切にすることだと伝えていきたい。出会いも一期一会も、自分の心構え次第だとし、何よりも楽しむために自分を活かしていくことを示していきたい。
常に思遣りをもって心から行動し、その自分が本当にみんなにとって効果があるかどうかを反省し考え抜き、自分をみんなにとってもっとも価値のある方へとしていくことを大事にしていきたいと思う。
今日も素晴らしい一日になるように、まずは実践を重視していこう。