相手のことを思いやるとは、相手の立場でものが考えることができるということでもある。いつも自分のことで器をいっぱいにしていたら相手の立場になって考えることなど到底できはしない。
自分本位の人とは、いつも自分の感情が優先され素直になれないから感性が鈍り相手のことよりも自分の心の壁が壊せず苦しんでいるのだろうとも思う。
何とかしてあげたいと周りがいくら思っても、その心の壁が強固であるためなかなか人の話を聞きはしない。特に忙しくなったりすると自分の感情だけで自分を満たし客観的に自分を見れなくなり引きこもり自分勝手な行動をし周囲に迷惑をかけていくようになる。そうしているうちに次第に孤立してまた頑なになって壁は厚くなっていく。
次第にエスカレートしていく迷惑も周囲への甘えも周囲への依存もすべては素直でないから起きることであり、素直でないというのは相手の立場や相手の助言を素直に受け入れようとしないから悪循環するものであると思う。
こういうことを繰り返して麻痺してくると、一番怖いのは無意識に思いやりに欠ける自らの言動行為で人を深く傷つけてしまっていると感じなくなることであろうと思う。自分の大切な人や身近な友人たち、自分を心底心配してくれている大切な理解者をなくしていくのもこういうことをやっているからなのだろうと思う。
人の話を素直に聴けるというのは、自分の感情よりも相手がなぜそういうことを言ってくださるのかと相手の心に寄り添うことをいう。相手が困っているから何とかしてあげたいという心に対し、困っていることに助力を惜しまず支援して下さる有難い存在だと思うことが人の話をちゃんと聴いているということであるとも私は思う。
自然のことを感じるときも素直な感性がいる。
風を感じるのも、海を感じるのも、山も太陽も星星も、向こうをあるがままに感じるには素直な心が必要なように、そこに自分の心が相手に向かって開いていなければあるがままに受け入れることも受け取ることできはしない。
太陽の暖かさ、海の冷たさ、風の心地よさも、すべては素直に相手を感じることからはじめて受け取ったといえるのだ。それが自然体ということだ。
循環するというのは、その不自然な心の壁を取り除き心を開いていることをいい、自分の感情で自分の欲求を満たすのではなく相手の立場にたって相手を素直に受け入れることで自分の器を大きくしていくということなのだ。
拒否し拒絶し、外界を遮断することではなく、共感し受容し、内界を開いていくように人のことを自分のことのように、自分のことを人のことのように同時にしていくことをいうのだと私は思う。
弱い人がさらに弱い人を傷つけ、強い人がより強い人を傷つけるというのはおかしなことで、本来は弱い人はより弱い人を助け、強い人はより強い人を助けるという人を思いやる循環があれば人はみんな素直になっていくのではないかと思っている。
心の壁がある人に拒絶されることを恐れてはいけない。
それ以上に、素直でいることの素晴らしさ素直でいることの素敵さを感じて自分がすべてから見守られていることを感じることを大切にしていくのだと思う。
その心の壁は、相手はきっと困っているだろうと素直な感性を開き心配し、相手がどうしたらもっと自然に素直になれるかを考え、真心をもって自分から変わっていくことを大切にしていきたい。
相手にあわせて壁に対して壁で対抗するのではなくその人を尊重し自分自身は素直なままであるがままで自然のままに過ごしていきたい。私自身はいつものように一期一会を感じながら、奇跡の日々を楽しんでいきたい。