態度と反省

マナーというものの中にその人の仕草と態度というものがある。よく現在はマナーが悪いと言われることが多いけれど、その一つに態度の悪さというものがある。

自分本位に生きてきて、誰にも迷惑をかけていないからいいだろうと勘違いして育ってしまうと態度にすぐに顕われてくる。

人は誰にも迷惑をかけないということなど、在り得はしない。生きていれば必ず、誰かに迷惑をかける存在なのは当たり前のことだ。

これを説明すれば人は必ず何かとの関係性の中で存在が成り立っている。自分がいるということは必ず相手がいる。つまりは、必ず繋がっている地球の循環の中で生きているのだから自分が何かをすれば必ず世界で何かが変わっているということになる。

それが身近な組織や集団では顕著に影響していくから、近隣の人間関係で問題が起きたりするものだ。いくら頭で気を遣っていたとしても、やっている態度が変わらないというのはやはり迷惑をかけてしまっているという自覚が足りないということはすぐに分かる。

中村天風にこういう言葉がある。

「結局、態度というのがどれだけ人生の全体を支配するかわからないということを考えなきゃだめなんですぜ」

これは、いくら理解しましたとなったとしても具体的に態度になっていなければ意味がないことを示している言葉であり、言葉や態度、行動がはっきりと人生の全体を支配するのだからいくら頭で変わろうとしても人は変わらないのだということを言っているのだ。

この方は、以前、不治の病から奇跡的な生還をする中で自分が頭で思っていろいろなことを試しても一向に効果がなかったものを自分の態度と行動を変えて人生すべてを変えた方だからこそその言葉の本質は経験に根ざしているのだからとても重い。

そしてもう一つ、とても鋭い反省と後悔の本質を見抜いている。

『反省という心境は、どこまでも自発的なもので、決して他発的でない。しかるに、事実に照らしてみると、往々にそうでないことを、しばしば見聞する。強要に応じないと極度にその人の悪口を言い、盛んに憤慨激怒する人がいる。
感情や理性の判断のみで考えられることがある。「人生は現実と精神との中に、その思案を振り向ける省察(反省)の深さによって、その正邪の結論が決定されると」いう絶対真理を自覚する。』

つまりこれは人から言われてから反省するというのは本当はそれは反省ではない。反省の本質とは自覚することをいい、それは自分で自らが自分の力を使って気づくことをいう。

いつも上司からや誰か人から言われてばかりで反省する癖がついてしまえば、それは反省ではなくまたやってしまったという後ろ向きな後悔だけをしているだけである。

迷惑をかけつづけてもそのうち恥じる事のなく厚顔無恥になってくるのは、そういう後悔をすることで自分を変えることから逃げているからでもある。

自分の人生は自分のものだからこそ、自分が決めて自分でやるかどうかということが何よりも大切なこと、自立に寄り添い誠心誠意で見守るを実践していきたい。