仕事は、なんとなくというような情緒的でやっていてはプロフェッショナルとしての一流の仕事にはなりはしないのは誰もがわかるところであると思う。
よく仕事に甘えているといわれる人がいる。
これは、どういうことかというと結果に対して甘い気持ちで取り組んでいることをいい、無責任であることを言う。
スポーツで言えば、アマチュアであれば自分のプレーや試合の結果、プロセスなど責任を持たないから、できなければできないでいいし、やれればやれたでいいというような曖昧なままでも誰も責めない暗黙のルールの中で刹那的に日々を一喜一憂している大学のサークル活動のようなものでいい。
だからそういう組織は、報告連絡相談確認もなければルールも優しく、時間も厳守ではないし、期限もない、さらには自分のことだけ一応問題がないというところを維持すればチームに対して貢献しているよと思っているのでそれでいい、つまりは甘えの主は「まあこの辺でいいか」というあれである。
プロフェッショナルはとてもそうはいかない。
スポーツで言えば、プロの世界とは結果責任を確実に持つことは当然であり、その結果だけではなくプロセスで人を感動させたり、チーム皆を鼓舞するようなリーダーシップを発揮したり、さらにはより完璧を目指してこれでもかとギリギリの厳格な自己管理を持って微細な仕事にまで全力を惜しまず徹底するようなもの。
だからそういうプロフェッショナルが集まる組織は、日々の業務のメリハリがはっきりしており、小さなミスも許さない緊張感がみなぎっている。議論は常に真剣勝負であり、全員が自分のすべての能力を発揮してチームの成長や貢献を真摯に考え抜き行動している、プロは常に自分に厳しいということ。ここでの厳しい主は「まだまだ高めていける」というあれである。
人は本来、本気で真剣であるときだけ自分の持って生まれた真の能力を発揮することができる。これは別に、身体を壊すほど頑張ったことをいうのではなく緊張しすぎていることをいうのではない。本気真剣であるとは、没頭するほどに徹底して強烈な意志の力で向上心を持ち仕事を科学し、より高みを目指すためにさらに自分をどう磨けがいいか、さらにこの仕事をどう効果的に仕上げればいいかに、周囲の顔色や周囲のレベルにあわせるのではなく、世界最高のレベルで仕事をしようと心に決めることをいう。
今の時代は、善い仕事をすることくらいは当たり前であり、その上に何の自分らしさを乗っけられるかが本質的な個性を表現するということになる。
それぞれが自分の個性も出せないくらい、レベルの低い仕事をしていたらいつも抜けを正され、いつも弱いところを指摘され、いつも何をやっているかよく分からない、これはどういうものかみんなよく知らないなどと甘えたことをやっていたら、一流のプロの仕事とはいえない。
甘えはすべて捨て去れることが、プロフェッショナルの入り口である。
それは、どんな些細なことでも決して言い訳をしないことをいう。
プロは、言い訳をしないからこそ徹底してこれでもかと資料を見直し、これでもかとプロセスを振り返り、これでもかというくらい勉強し、仕事を科学する。それを芸術の域まで高めているからこそ仕事の「コツ」を掴んでいるのだろうと私は思っている。
私の師も、飄々としているけれど広告業界にいけばきっと名立たるマーケティングのプロであろうし、経営コンサルタントになればきっと世界有数の敏腕コンサルタントであり、ITでSEの世界でも、最優秀の合理的なSEになれる方だと簡易に想像できる。
なぜそうなのか、それは師がプロフェッショナルだからである。
そのプロフェッショナルが過去に通過してきた、これでもかという自分を高め究めたところで仕事をしたことを周囲は気づかないだけで本当はプロはその陰に他人にはわからない非常に高密度の自分との闘いをしているのだ。
常に、誰かのせいにできるような仕事は甘えでありそういう甘えた状態で協力を頼むのはただの依存関係、つまりは仲良しクラブになってしまうから気を付けることだと思う。
本当にみんなと協力し、豊かで幸福なチームを目指すには皆が本気でなければらない。そしてそれは、皆がプロ意識を持つことでもある。甘えを許す土俵は、必ず自分の甘えを許してもらおうとする真の甘えが存在する。
甘えを捨て去るのは、真の思いやりだと思い、本来の正しい仕事を見つめ再構築していくことを自らの会社を通じて業界へも伝播していきたい。