植物は大地をはじめ、空や水など自然の環境から養分を呼吸し生きている。木々一つ一つも大地に根を張り、そこから様々なものを吸収して生きている。時に、干ばつのこともあれば、時には、湿潤なときもある。
環境がどうであれ、自らの生きる力と意志で自立し生きることを当然にしているから循環の中で命の光を世代を超えて紡ぎ合わせていくのだろうと思う。
しかしそうやって命を輝かせて生きている植物にも、根腐れというものがある。
なぜ根腐れをするかというとこれは一見、水の量が原因のように見ているけれど実際はそうではない。どんなに水が少量であれ、根がそれを一切吸おうとしなければそれで充分水がじゃぶじゃぶと足りているということになる。
逆にどれだけ水がじゃぶじゃぶあっても根がしっかりと吸い上げていけば根が腐るということはない。受け身にならずに、いつも自分の根で自分で水や養分を吸い上げていこうとする意志があれば次第に自立していくものだ。
人間でも、同じくこの根腐れに似たものがある。
今のような豊かな時代、恵まれているこの環境を活かそうとすれば実はいくらでも自由に活かすことができる。いつも満たされた中で生きていれば、不足するということがない。そうするとわざと不足するために、無駄な時間を過ごしたり、わざと無理をしなくてはいけないように努力を怠りサボることがある。
不足するものをいくら思っていても、それは実際はあってもなくても別にどうでもいいものであり生きていけはするのだからあまり実は本人が考える程の大問題ではない。
人間は、さらにそれに過保護過干渉の環境があればあっという間に性根を腐らせていくこともできる。
これはある意味ビニールハウス栽培のように、一定のことが保障された環境下では自らの生きる力があまり出てこないように温室で育てられれば見た目は大きくなっても食べるとあまり美味しく感じなかったりすぐに弱るようなものになるのと似ている。
野生しているものは、寒暖の差があり、虫がたかったり、伝染病が流行ったりもする、風も吹けば、色々な災難が降り注ぐこともある。しかし、それをものともせず立派に自分の代々受け継がれた自分の役割を立派に果たしていくのだろうと思う。
人間はどんな種を持ち、生まれてくるかは人次第でもある。
しかし、それをどのような環境下で育ち、どのような意志で生きるかでどのような花をつけどのような実をつけるのかは変わってくる。
自分の種を自分でしっかりと伸ばそうとする心に、自分の生きざまや自分の生き方というものを照らして自分のもっとも強みを見出し活かし、自分らしく真摯にいるところに命の輝きを感じることができるもの。
命の輝きを感じるとは、自分の力で生きようとする力、好きなことで伸びようとする力を自分が感じて生きていることを言う。それを感じない生き方をすれば、すぐに性根が腐りすぐに養分を吸収する力が失われていくものであろうと思う。
人は、自分で決めたことだけで自分で生きるもの。
いつも誰かのせいや、いつも自分の人生を他人のせいにして、自分は不幸だと自分を憐れんでいてはせっかくの生育も素直でなくなりその性根そのものが不貞腐れていくから気を付けないといけないと思う。
今の時代は、裕福でなんでも物に満たされているからこそ自分から積極的な人生を生きようとはしなくなっている人がとても多い。だからこそ、消極的で済むからと逃げずいつも自分を叱咤激励してもっと自分を自分でマネジメントする生き方をしていくことが子どものモデルにもなっていくのだと思う。
長い時間、受け身で流されている生き方はその人本来の生きる力も枯渇させていくもの。もっと、主体的に感じて動く生き方をすることを大事にしていくことを伝えていくようにしたい。
養分をしっかり吸い上げ、自分にしか咲かない花を立派に咲かせるような大人のモデルを示していきたい。