心と体、姿勢と態度

人は心の姿勢を正すことで態度が変わってくる。また態度が変わってくると心の姿勢が変わってくる。どちらにしてもテクニックではできることではなく、思うだけではなく行動に移さなければ何も変わりはしない。

例えば、他人のお役に立とうとし掃除をしようと思うようにする。その際に、いくらそう思っていても具体的な行動に移さなければお役に立てることもない。もしもお役に立ちたいのなら、具体的に毎朝のゴミ拾いや後片付けなどを繰り返し実践してその態度で示していかなければ心はそれをやろうとする姿勢でいられないということになる。

この心と態度というのは、とても密接なもので人はテクニックでそれを補おうとするのは知識ばかりで楽をしようと思う怠けた心がそうするのであり、心が正しく立っている人は決して誰が見ていようがいまいがサボろうとはせずきちんと取り組むことができる。

会社での内省というものがあるけれど、ぱっぱぱっぱとチェックを入れて適当に日時までに終わればいいやという心の姿勢と態度でやる人はやはり怠け心で生きている人である。そういう心の姿勢と態度で一度でもやるならば、悪い方へ積みあがり結果や成果に出てきていつも何だか悪い影響ばかりを与えるようになってしまう。

その逆に誰が見ていようが見ていまいが忙しかろうがそうでなかろうがきちんと内省し、その態度と行動や心の姿勢が誤ったものでなかったかと思いながらやる人は長い時間をかけて一つ一つじっくりと丁寧に取り組み、その善い心の姿勢と態度が次第に積み上がり、結果や成果が表れるときにはまったく前者とは異なった周囲へ善い影響を与えるような素晴らしいものになっているものだ。

つまり誰かが見ているか見ていないかでいちいち行動や態度を変える人というのはいつまでたっても心の姿勢や態度を変えることはできないように、心が自分である以上、その自分自身の心を自分で管理していくことは永遠にできないというものだ。

自分自身を変えたい変えようと思う際、まずどこからはじめるかというと外側だけを取り繕おうとする怠け心でやろうとはせず、素直にその心の姿勢と態度からであることが最優先だというのは以上のことからもわかると思う。

天が見ているとし、いつも自分の心が見ていると思えば、常にその姿勢や態度で自分を自分で知ることができるのだからすぐに変えるべきなのはどこかは誰が教えなくても自分でわかるものだ。

だからこそ、日々の自分の姿勢と態度は常に自ら戒めいつも自分自身をマネジメントし自分に怠け心が出ないように謙虚に素直に自他を尊重する具体的な姿勢と態度の実践が何より自分を世界へ順応させ善い影響を与え貢献できるような適合し生き活かされるということになる。

今の時代は、すぐに知識でわかればそれでいいとしその場しのぎのテクニックで乗り切ってしまおうとする刹那的で軽く浅い認識でなんとなく表面上の繋がりばかりを維持しようとしている人がとても多い。事なかれ主義というか、面倒くさいと思っているのだろうけれどそういう人との心の繋がりに楽をすれば、因果の法則に沿ってそのしっぺい返しは必ず人を介して増大して戻ってくるものだ。

人は自分を粗末にしていては、他人から粗末にされるし、自分を自分で尊重できない人では、他人を尊重することはできない。そして何のため生きるのかと考えきれば、当然、人は心と心を通じ合わせ、体と体を寄り添わせ、ともに持ち味を活かし合い生きていくことは私たちがこの地球の生命の一部として普遍的にいるための生きる知恵でもありそれが自分らしく生きるための道でもある。

だからこそまず人としてもっとも大切な深い絆や繋がりを重んじた関係を構築していくことを、「より強く意識し実践すること」は今の時代にとても重要になっているのだと私は思っている。

教えない教育や、教え込まない教育、詰め込まない教育、これはつまりは、以心伝心や一期一会といった心と体で共に学び合っていくというお互いが発しながら育っていくような協働の体験ができるような学びの環境が今は特に必要なのだと私は思う。

親子であっても上司部下であっても、友人であっても師弟であっても、大事なのはまず互いの心の姿勢と態度から変えていくようにと示していきたい。

素直で謙虚であることが、純粋な心でそのままあるがままに心を感受することとし、そうした心を通じ合わせて暗黙知を分け合い、真理やコツなどを以心伝心を通じて受け継いでいくものとし、いつも生身の心の姿勢と態度を戒めていこうと思う。