時心

人は昔生きてきた軌跡を辿ることがあるとき、思い出というものを振り返り今がどうなっているのか、この先がどう変わるのかというのを感じていくことができる。

故郷をはじめ、青春時代を過ごした場所や人に会うと何が変わっていなくて何が変わったのかを実感することができる。

たまには自分というものをそのままに見つめる懐古の旅に出るのはとても良いことだと思う。

今の自分があるのは、過去の思い出の集積によりできているのは誰でも知っていると思うけれどその一つ一つがとても不思議な縁で必然的に繋がっていることを実感することはより心の旅を感じていくためにも大切なことだと思う。

心の旅は、感じたままであり、それは場所というものだけではなく、その当時の人との繋がりや、様々な環境と出会い、その瞬間瞬間の体験した心こそが変わらない確かな軌跡を遺していく。

形があるものはいつかはなくなるのだろうけれど、きっと人はなぜその思い出が存在するのかを思うとき不思議で何か偉大なものの中で確かに心というものが生存していた証ということを知るのだろう。

目には見えないし、耳にはもうその当時のことは届かなくても、確かにその場所にある思い出は心を通していつまでも新鮮なままで思い出として存在している。

時を経ていけば、環境が変わっていけば、新しい思い出が次々と上書きされ昔のことを忘れているとも言える。しかし実際は、心に刻まれた時はいつまでも変わらないのだから永遠に忘れることはない。

そういう心が生きていると実感したままその心の存在を見つめると、現実とは異なった場所で何かが動いているし、静かに感じ入ってもう一つの自分があるように心は常にもう一つの時を確かに刻んでいるのを感じる。

だからこそ心から大切なシーンは、二度とはない一期一会の時の思い出。

いつも自分に素直にそしてあるがままを受け容れることは、真実に生きているということでもあるから生き方や生きざまはやはりいつも自然でいたいと思う。

変わらない過去、変わっていく未来、それを思えば「時こそ心、心こそ時」という時心が今であることを知り、時空を超えた真の存在になるよう時と同じく感じるままに我がかんながらの道を歩んでいこうと改めて思う。

どんな人との出会いが、どんな場所との出会いが、そしてそのすべてを心が刻む時を、永遠の流れに身を委ねつつ穏やかに豊かに楽しんでいきたいと思う。