人が人と信頼関係を築くのに、心をオープンにするというものがある。
この心をオープンにするとは、周囲のことを信頼することでありそれは自分から自分のことを伝えていくということでもある。例えば、自分がどのような感情で何を感じているかや、自分がどんなことが嫌でどんなことが嬉しいかなどお互いの垣根を越えて相互理解していくようなものでもある。
しかし、人間は過去のトラウマにより心を塞ぎ、そのトラウマで傷ついた部分を避けて他人と接しようとすることでより周囲を不安にさせ、信用や信頼を失っている人もいる。
仲間といっても、心の傷は触れ合わないでいようと本心を語ろうとはせずそれをひた隠しながら対話をしようとするのを傷のなめ合いともいう。これでは、お互いの心を通じ合わせて何かを共にしていくことは難しい。
心とは癒し合うものであり、それは心の傷を触れ合わせて本心で語り合うことで心を開きながら対話することをいう。それをすることで、傷は互いの共感や受容により癒されていき本心を語ることで安心し心をいつも信頼する人たちの中で開いていくことができるからであると思う。
本来、そういう心の傷というものは自分を強くしてくださった天の試練として謙虚に受け取る人はいつもプラス思考で人生を前向きに心を開き歩んでいくことができる。傷をいつまでも癒せない人は、過去のトラウマを天からの有難い試練とは思わず自分がこんな目にあったのは誰かのせいだといつまでも被害妄想を持ち誰かのせいにして自分から傷を治さず腐らせていたりもする。
そしてそういう生き方をすれば、必ず信用をいつかは失い、信頼関係を壊し、無自覚にたくさんの人たちを傷つくことの恐怖に巻き込んでいくのであろうとも思う。
すべてをさらけ出すとは、自分を信じてくれている人に嘘をつかず隠さないということをいう。
心が安心し合う関係は、いつも自分のことを見守ってくれている人たちのことを信じて生きていくことを言う。ないもの探しではなく、あるもの探しをし、いつも自分のことを大切に思ってくれている人たちの方を見て、自分からその人たちに心を伝えていくことは信用と信頼の社会を築く上でとても大切なことだ。
形だけあわせて、心はいつまでもあわせようとしないのでは皆で一丸となって偉大な夢を語り合うことも実現させていくこともできはしない。もっと自分だけの人生のことだけではなく、自分を見守ってくださっているみんなのために自分を変えてほしいと願う。
子ども達のためにも、心と形をあわせた渾然一体になった姿で楽しく豊かに生きていきたいと思う。