勇気こそ

人は日々の生活に慣れ親しんでいくと、本当に優先しているものが何かを勘違いすることがある。例えば、仕事でもそうだし、趣味でもそう、何かと繋がってしまえばそのためにできないとし、何かと繫がりが邪魔をし新しく決断をすることが億劫になっていく。

人は、自分が守っているようにみえてその実、自分を守りたいから変化を避けたいという心もある。もちろん、それぞれが考え抜き納得の上でということであればそれはいいのだけれど実際は自分を言い聞かせているだけである人の方が多い。

自分を縛り付けるものや、自分を押さえつけるものからの自由とはそこから抜け出すのではなく、何を優先して生きるのかという自分の信念に沿って生きるということを言う。

日々にそういう優先順位に従った生き方をするこそこそがそういう信念を醸成していくものになる。人はその信念のモノサシを持つことが大切でそこから色々なものを決断していく勇気を持つことである。

ゲーテに、「勇気を失うことは全てを失うことだ」という名文句がある。

お金や、誇り、その他、失ったと思われるような物質から精神的な対面体裁などは後でいくらでも取り戻すことができるし挽回することができる。しかしこの勇気というものを失ったらもう何も取り戻すことも立ち直ることもできないと言っている。

何かを決断するとき、すべてにおいて勇気がいる。

自分の心に耳を傾け、信念や信条に沿って決断をする。それは頭で考えるのではなく心に聴いてみることをいう。そして心が選んだ方を感じたら、それに応じてそれがもっとも実現できる方法を頭で考え切り、そして覚悟を決めたらその勇気を振り絞って実行に移すということである。

どんなことも勇気がなければ行動には移せない、いくら頭で分かっていても勇気がなければだれ一人も説得もできない。大事なことは、不可能と思えることに対しても挑んでいく勇気。そして自分の信念に従い、それを遣り切るやり抜く勇気。

勇気があれば、勇猛果敢に挑んでいくことが信念を試すという行為になるのだ。他人の批判もある、そして自分の中では周囲との関係などもある、またはそれがどのような影響を与えてしまうかもある。

しかし、大事なことはもっとも優先したいことに素直に応じる事。それは植物が根に応じて生長するように真っ直ぐにあるがままでいることである。

保守になれば、自分の身を守ろうという気持ちがどこかにあれば勇気が湧いてこずどうしても無難なことを選び挑戦をしないようになる。

自分の信念に従うというのは、自分がもっとも優先するもののために死力を尽くすことである。それぞれが与えられた環境と与えられた場所で、勇気を出してこれからのこの国の在り方や世界の中で私たちが本当に勇気を持って示すことが何かを考えていきたい。

今は世界と時代のターニングポイント、人間力と成熟が求められている。

どのように生きるのか、私はそこに必ず「勇気」が必要だと感じた。
これからの自分は、そこを起点に新生するように決断していこうと思う。

失ったものよりも、すべてをやり直すために。