自分のいる場所を全体と繋がっている一部としそれを布置とすると、「今、此処でどうあるべきか」という問いが自然に産まれてくる。そしてそれを決めることが覚悟でもあり、それが自分が生きる意味となる。
今回のような出来事があると、その心をどこに定めているのかを再認識することができる。自分というものが、何ができるか、どうしたいかということもあるけれど、この時もどうありたいかとなると答えは簡単そうで簡単ではない。
人は両立はできないからその時、何を立てて優先するかということが大切であると師によって教授されたことがある。
今はこれ、今はこれと、この「今」というものを大切にすることで見えてくる心がある。そこに大いなる流れが存在していることに気づくもの、その過去と未来の流れにある今こそがいつももあるがままの決断の場所なのであろうと思う。
これからも変わらず本業や社業はいつものままに真剣勝負は続いていく、環境は形が変わろうが本質は何も変わることはない、流れに舟を浮かべているのだから舵取りとして総合的に今後を見据えた智慧と戦略が必要になるのであろうと思う。
だからこそ今は無為自然に必要に応じて取り組んでいけばいい。
カグヤの人道支援は初心から「子ども第一主義」である思いやりの実践こそにある。
そしてそれは見守る保育のことである。
こういう時だからこそ心静かにわが身を正し大義を優先すべきではないか。
反省とともに不動に存在するものがあることに天への感謝を覚える。
この今に仁義という筋道を通していくことが何よりも普遍の志を貫竟していくことに行き着く道筋となっている。
つまり道はただの一本の永遠の糸でありこれは前後しないものであろうと私は思う。
もちろん人々は大変なことばかりが続くであろうと予想できる未来、だからこそ情け心も添えて手を取り合って確かめあいながら、素晴らしい保育の日々に出逢い、感動と感謝の園をますます創っていくことが我々の今できる最善のことであると胆に置こうと思う。
こういう時だからこそ、今までの流れを大切にし新しい流れも捉えていきたい。悠久の流れの中にあるこの今にこそ、私たちの人としての生きる道がある。
人の生きる道を支援するという人道支援の本質を子どもたちを通して学び気づき深めて広げて世界を見守っていこうと誓う。