春が来て身近な草花から虫たちまで穏やかな微風に吹かれているとそれぞれのいのちの輝きを感じることがある。
てんとう虫やミツバチから花や草に至るまで、何かがそこに存在していることによって活動していることが感じていると観察できる。
生命とは、入れ物の中にあるものと入れ物とが一体となって自然と融合し自然と調和したときに存在しているものであるようにも思う。
こういう感性というものは常に自然の中で自然と一体になることで感じることができるのであろうとも私は思う。
私は幼いころより、山野で育ち、自然を父や師のように生きてきた。
自然の中で教えられる教訓には安心感があり、そこに原理や原則が存在していることを学び、いつも見守られている実感を味わい生きていくことの勇気と生長していくことの確信を得られている。
生きていれば、色々ないのちに出逢い、色々ないのちと別れるもの。
その一つ一つの輝きが、今の自分を照らし、その一つ一つの煌めきが、今の命を紡いできた。
私たちはいつの時代も、変わらずに続けている命の連鎖が存在する。
そのバトンの受け渡しができてはじめていのちは、入れ物を活かすことができ、その命の活動を継続していくのであろうとも思う。
人は生きていれば、色々な概念や価値観、欲求や願望などに支配されどうしても自分というものを正しく理解し、自然に融合していくことができなくなってくるもの。
そういう時は、一度すべてから離れてみて自然と一体になることが自分の傲慢や怠慢さを痛感する機会になるのであろうとも思う。
今の時代は、特に人工物により埋め立てられた様々な壁がいたるところに張り巡らされてある。そのことから、真実が見通せなかったり、そのことから、あるがままであることなども理解できなくなってきている。
心の中にも人工物が張り巡らされ、いまどのようにして生きていけばいいかという命の在り方さえも見えなくなってきているように思う。
人間は今、大変なターニングポイントを迎えている。
いつかは、人間が作ったものは必ず壊れる。それを後生大事に守ることは、今まで慣れ親しんだ姿のままでいようという原理から離れた理屈であることに気づくべきであると思う。
だからこそ、心の壁も人工物も一度は取り除き、原点に帰り、いのちというものの大切さを見つめ直す必要があるののだ。
私たちは、いのちの輝きをその灯を絶やさないことが使命である。
子ども達にはもっといのちを大切にすることを感じる環境を用意し、もともともっている心を見守り育てて自然と一体に生きていける幸せを感じてほしいと願う。
今まで作ったものを壊して、新しく作り直していく中で人としての道を正しく実践し示していきたい。本物の姿はどういうものなのか、こういう時だからこそ気づき、そして本物であるためにあるがままの自然と一体なった人間として新たな道を切り開いていきたい。