今回の震災後の原発危機から色々と思うことがある。
一連の経過をよく観察していたら、事故対応後、その人格が見えるもの。
以前私も交通事故があったけれど、事故当時の様子とその後の対応を経過で観ればその人が何を大事にしているのか何を優先しているのかはよく分かる。
特に保身などに走ると、誠意のつじつまがあわなくなるので真実が明確になっていく。
ここで本当に反省するかどうかがこれからの未来を左右するのに、これで気づけなければ必ず将来により深く大きくなって同じようなことが起きる。
因果応報ではないけれど、この世の原理原則は、逃げても必ず追ってくるように避けられず法則に沿うように天が反省を促してくださっているのだからそれに謙虚に気づき受け容れ改善することが人の道であるはずだ。
今回のことで刷り込みに気づき、現実がはっきりしたものがある。
人間は歴史から学ばないというのは、刷り込みに刷り込みを上書きに塗り込み、常に現実というものを分からないように自分たちの都合よく誤魔化して生きるからであろう。
今回の件で足元や目先で言えば、原発は安全ではないし、東電は優良企業などではない、政府は見せかけであり、国民の生活は守られない、報道は本当のことは伝えず、識者は御用学者であった、、等々いくらでも出てくる。
今までは誰しも疑いはするもののきっとそうではないと思っていたことが、今回のことを機によりはっきりと現実がどういうものかを認識する善い機会になっただけである。
こういうことは一部の人には問題であっても自分や全体の問題にしない、弱い立場の女性や子どもなどはではどうなるのか、こんな社会を善い社会だという人は本当は誰もいない。
利権や保身は常に信じてくれている優しく弱いものを犠牲にする。
また扇動やデマ、風評被害などもよく観察すればそれは単に不安や恐怖から現実を受け容れる胆力が本人にないだけあり、本当のことを考え知るのが単に怖いだけである。風評被害とは本当のことを言わない人と、本当のことを知りたくない人が一緒になって行うパニックのことである。
人間は冷静になって話を伝えればパニックなどは起こさない、現実を知った人間の大多数は最後は自ずから倫理道徳に沿って判断するものであろうとも思う、それは過去が証明しているからだ。
これから本当のことを知るには、同じような体験をした人の話を聴くのがいい。
それはデマではない、現場で起きたことである。
常に答えは現場に存在するものであり、現場には事例が異なっても嘘がない。
そういう話を聴いてまさか自分に限ってはと人は自分を守ろうと思うのだろうけれど、誰にも等しく原理原則に従ってほぼ同じようなことになっていくもの、きっとその差はただの運である。
最悪の事態に備えることは繊細になってストレスを溜めこむことではない。現実を把握し、どう自らで判断するのかを納得し自ら決断をすることである。
希望としては子ども達には、自分で考えて判断し行動する力を持てるように見守るを広げ危険回避力を身に着けるような環境を用意できればと願う。
いつの時代も、本当のことを受け容れる心の強さとそれをゆるし新しいものを創造していく優しさを持てる人物が時代を超えて人間を導いていくことを忘れてはいけない。
どんなに悲しいことがあったとしても、すべての機会を学びにしていくことを通じて私は子ども第一主義を貫いていきたい。
明日への希望は、これからの自分の生き方が決める。