吾唯足知

先日、ニュースで米国と日本の借金の額を見て資本主義の末路と非現実的な貨幣経済に偏った状況を垣間見て信頼できる社会とは何かについて考える機会があった。

際限なく、消費を続けて自国の景気をよくし続けることで成り立つ社会とは疲弊経済でありこんな状態はいつまでも続かない。

問題は、まだまだ大丈夫だという慢心とまさか自分だけはないだろうという人任せ運任せの生き方そのものの危機感のなさは歴史が繰り返すことを示唆している。

震災で感じた防災への意識も、子孫へ訓示を遺してくれていた先人の智慧の価値についても人間がどのようなものかを実感する善い機会になった。

ネイティブアメリカンの格言に「7世代先の子供達のことを考えて、今を生きよ」という言葉がある。

これはどのような実践を行うべきか。

二宮尊徳の夜話に下記がある。

「嘉永5年正月、翁おのが家の温泉に入浴せらるゝ事数日、予が兄大沢精一、翁に随つて入浴す。翁湯桁にゐまして諭(さと)して曰く、夫れ、世の中汝等が如き富者にして、皆足る事を知らず、飽くまでも利を貪り、不足を唱ふるは、大人のこの湯船の中に立ちて、屈(かゞ)まずして、湯を肩に掛けて、 湯船はなはだ浅し、 膝にだも満たずと、 罵るが如し、
若し湯をして望に任せば、小人童子の如きは、入浴する事あたはざるべし、
是湯船の浅きにはあらずして、己が屈まざるの過なり、
能く此の過を知りて屈まば、湯忽ち肩に満ちて、おのづから十分ならん、何ぞ他に求むる事をせん世間富者の不足を唱ふる、何ぞ是に異らん。夫れ分限を守らざれば、千万石といへども不足なり、一度過分の誤を悟りて分度を守らば、有余おのづから有て、人を救ふに余りあらん、夫れ湯船は大人は屈んで肩につき、小人は立つて肩につくを中庸とす、百石の者は、五十石に屈んで五十石の有余を譲り、千石の者は、五百石に屈んで五百石の有余を譲る、是を中庸と云ふべし、 若し一郷の内一人、 此の道を蹈む者あらば、人々皆分を越ゆるの誤を悟らん、人々皆此の誤を悟り、分度を守りて克く譲らば、一郷富栄にして、和順ならん事疑ひなし、古語に、一家仁なれば一国仁に興る、といへり。」

少し長いけれど、これはこのままが価値がある。

まず、人には天分というものがある。
そして、その中で自分が定める分度分限というものがある。

これは分度というものは、全部が全部自分のものにするのではなく自分の範囲を定めてそれ以外は子孫のためにや周囲の人たちのために譲っていくことが大切であることを説いている。

直訳すれば、「世間の富を求めるに足るを知らない人は自分が屈むということを知らないでいる。お風呂でいえば、自分がお風呂に立ったままではいくらお湯があっても腰までしかつかれない。しかし、もしも自分が屈めば少しのお湯でもつかることができる。これと同じく、満たされるということは自分がその範疇での生活を行い足るを知り余剰を発生しそれを譲ることで真に富むことができるもの。自分の収入で言えば、収入内での分限を定めるに、限度枠いっぱいでやるのではなく半分で設定し残ったものを子孫や周囲への発展に貢献していくことであるとする。

この「分度」というものは本当に大切なことであると私は思う。

そしてこの分度を思うとき、如何に自分が足るを知ることが大切なのかを思わないことはない。

いつも物足りない、もっと欲しいと満たされず不足を思えば当然手に入れようと躍起になっていく。しかし、もしもいつも足りているとし、十分ですと足るを知れば手に入れるよりも譲ってあげたいと思うようになる。

これは生き方や在り方にも顕われる。

会社の経営でも、仕事のマネージメントでも同じく、利益というものが足りない、売り上げが足りない、時間が足りない、人が足りないなど、いつも足りない方ばかりに目を向ければ当然手に入れようと躍起になってしまい短期的な目線で疲弊してしまうことになる。

そうではなく、利益は譲ることであり、売り上げも譲ればいい、時間も譲り、いつも足りている、つまりは譲っていく方に目を向ければ長期的な目線で持続し安心して穏やかに暮らすことができるようになる。

当然、有事無事があったとしても生き方や在り方としてどちら側が富むものであるか、どちら側が満ち足りた側であるかは一目瞭然である。

経済とは、不足を思うことではなく足るを知ることから改善できる。

そしてそれは経済力を上げる下げることではなく、経済を譲ることである。
これこそが中庸であり、人は思い譲る、つまり思いやりの中で生きる事で安心した穏やかな発展、つまりは悠久の繁栄を約束されているのであろうと思う。

循環する経済、人との信頼と信用の輪を広げていく豊かな社会こそ人心が満ち足りた平和な社会でもある。不足だと貪り続けることで、足りないものを足そうと借金をし続けて行き着く先は無限の欲望のなれの果てである。

私たちは、子孫や子どもたちのために感謝を譲るための心が大切である。

今の時代は、かつてないほどに物に溢れた裕福な世界、しかしそれを裕福に感じれないところに真の問題がある。

足るを知る心とは、天が与えたくださった恩恵に感謝する心。

当たり前ではないことをよく自覚し、ありがとうとともに歩んでいくこと。
生き方や在り方は将来を決めるもの。

子どもたちのためにも、自らが実践していくように学んでいきたい。