自分を思いやる

誰かのことを思いやるには自分のことが思いやることができなければ本質的に相手を自分と同じように大切にすることはできはしない。

自分はいいからというのは、自分のことは思いやらず相手のことを思いやるというのはそれは謙虚だと勘違いしているけれどそれは謙虚ではない。自分が感謝であるから相手へも感謝である、相手に感謝しないのは自分へ感謝が足りないからでもある。

自分を顧みずというのは、当然、自分のことのように相手のことを思えるから何とかしてあげたいと思うもの。それは、結局は相手は自分と思っていることつまり自分のことのように思えるというのは自分を大事にしたいと思う気持ちを相手に見出しているからできるのである。

世間では、自分を大事にするということが誤解されることがある。

それはさも、自分のことばかり考えていることや自分に都合の良いことをすることだと思われてたりするけれどそうではない。

自分を大事にするというのは、自分を好きになることであり、自分のことを大事に思うことであり、それはまず自分を大切にできていることである。自分というものをどれだけ自分がまず信頼することができるか、つまりあるがままの自分を丸ごと愛し受け容れていることであると私は思う。

いつも自分のことを忌み嫌い、自分を叱責し、自分が自己嫌悪になっている人は周囲の人を思いやろうとすることはできない。そうやって自分を大切にしていないのだから結局は深いところで相手を大切にできず、いつも何か失敗をして嫌われてしまいそのせいでまた忌み嫌う、そして忌み嫌われないようにとばかりに気を付けているうちに自分を粗末にするという悪循環に陥ってしまう。

思いやれるかどうかは自分の今の心、つまり生き方の問題なのである。

当然、トラウマをはじめ幼少期から相手から愛されていないと自分で感じてしまったり、自分が誰かを傷つけたと後悔を感じてしまったり、運命に翻弄されて憎んでしまったりと、相手がいるものだからこそ分かり合えないことで様々なことに苦しむこともある。

しかし、それをどう転じてどう自分の生き方を見つめ直して自分を変えるのかというのはその人が、人生の心のモノサシをどこに置いて生きるのかを決める事でもある。

つまり芯の部分で、自分を大切にするという生き方のモノサシでいるのか、それとも自分を忌み嫌い責め乱暴にするという生き方のモノサシで生きるのか。

誰も最初から悪気があって何かをするわけではない、そこにはきっと自分を大切にできていない理由やキッカケがあったものだ。それを責めるのではなく、ゆるすことで転換していけるかどうかが学びの意味でもある。

今は、子どもたちを始め社会が自己肯定感が低く自分を大切にできないでいる。もっと、自分を受け容れ、自分を好きになるために、自己評価のモノサシを自分の良いところを引き出せるようにしそれを貢献で満たしていけるようなマネージメントが必要になる。

生きていることは、誰かのお役にたっていくことであり、お役に立てることは自分が生き甲斐を感じることである、そういう自分が自分を好きになり、その好きになることを周囲へと及ぼしていくことが社会の素晴らしさでもある。

相手のことを本当に好きになるために、自分を好きになることは自分が自分を思いやることではじめてできるようになるのである。

子どもたちがどんな未来があったとしても丸ごと受け容れ自他を愛し癒され幸福に生きられるようにと祈り、誰かのせいでや誰かの人生ばかりに生きるのではなく、もっと自分の人生や自分を大切にして生きよとメッセージを発し続けられるようにこの今に心を籠めて日々の思いやりを実践していきたい。