変化を受け容れる

変化に息詰まるということは、今までのやり方がすべて通用しないと悟る事であると思う。

今までのやり方が通用すると心のどこかで思っているうちは真の意味で学び直しをすることができはしない。

自分がまだやれると思っていたり、今までの頑張りが足りなかったのだと無理に自分を今までの方法で叱咤激励してやろうとするよりももはや一切通用しないと気づき諦めるところから変化を受け容れることができるようになるものであろうと思う。

一つには、頑張ればできるという妄想でもある。

今まで学校などで教わったように必死にやりさえすれば何とかなると思っているのは、努力の仕方は受け容れなくてもいいから真面目にさえやっていればいいという考え方でもある。

しかし、それは根底が間違っているとしたらその方法では一向に辿りつくことも変化に順応していくこともできはしない。

もう一つは、価値観を変えずに何とかしようと思うことである。

今までの自分の価値観でいつまでも物事を評価したりそれを当たり前だと思っているうちは何をやっても新しい方法や発見は訪れることもない。先入観を持たずというのは、今までの価値観を捨てることである。

捨てるというのは、持たないということ削る勇気を持って価値観を変えることを言う。今までの自分の価値観よりも優先するものを持つことであり、自分を曲げたくないと頑固であればあるほどに価値観を刷新することができないでいたらこれも当然変化を理解することも正しくできはしない。

見直しや学び直しとは、根底や根本的なところといった最底辺より行うことであり今いる自分の都合の良い場所から行おうとしてもそれはできはしない。

もしくは、理念というものに自分のすべてをあわせていこうといったまずは自分から変わっていこうとしなければ変化を受け容れることもできはしない。

人間は、何かの有事に出逢ったときまだこのままでもやれるとどこか思ってしまうと変化を受け容れるよりもちょっとやり方が間違っていたと思うものでもある。

しかし本当は、このままでは通用しないとすべてを受け容れ勇気を持って自分を削れるところまで削っていこうとすることではないかと私は思う。その削るというのは、無理をすることではなく無理をしないことでもある。

これからの時代は、如何に無理をせず自然にありのままにいるかというのはとても大事になるのではないかと私は思う。

変化というものに対して、どれだけ柔軟性を持てるかがこういう激変の時代の生き残り方には重要な要素となっている。

大切なものを守る以上に、守るものはないはずである。

如何にいらないものをいつまでも持とうとしないかというのは、今を生きる上で実践し続ける生き方の選択なのであると思う。前向きに未来に希望を感じて歩むとは変化を受け容れる方を取る事であるとまずは自分から示していきたいと思う。