人との人とのかかわりに礼儀や作法というものがある。
これは品性のためにということではなく、相手の気持ちになって思いやる際にその秩序や道徳を尊重するという意味で使われるものとして新渡戸稲造の武士道では紹介されている。
もともと仕事のマナーや進め方なども、まずお客様の立場にたって考える事や取引先の気持ちを配慮して礼を尽くすことはお互いに秩序ある正しいことを優先しようとする道義や道理を重んじようとする精神の顕われであろうとも思う。
それがなくなってしまえば、当然道理から外れた話になったり道義からずれた議論になり結局は礼を弁えない醜い結末に陥ってしまう。
誰が良いか悪いか理不尽かどうかではなく、礼を重んじて取り組む姿勢がお互いの関係をより善いものにしていくのであろうとも思う。
日頃からマナーや対応を丁寧に、相手の立場で心を籠めて取り組むことがお互いを尊重し合い信頼関係を築きあげていくことにおいては大切なことであろうとも思う。
精神が陶冶されていなければ、見た目は品性を保っているように見せても何かがあると感情的になり冷静さに欠ける言動に支配されてしまい苦しむこともある。
そういう時こそ、私たちの先祖から脈々と実践されている徳、その武士道精神というものに立ち返ることであろうとも思う。
「礼は慈愛と謙遜という動機から生じ、他人の感情に対する優しい気持ちによってものごとを行うので、いつも優美な感受性として現れる。礼の必要条件とは、泣いている人とともに泣き、喜びにある人とともに喜ぶことである。礼はその最高の姿として、ほとんど愛に近づく。」
と書かれている。
何か困ったことがあったり、何かの役割や責任を持つ人たちは、それぞれにみんな困っているのである。みんな一緒に大変な思いをしつつ、何かの仕事も進めているのである。
そういう人たちのことを思いやり、みんなきっと大変なのだろうと優しい気持ちを持つことでその対応に礼儀という姿が表現されていくのであろうとも思う。
礼儀を実践することで思いやりの関係は築け、礼儀を粗末にすることで憎しみあう関係が生まれる。礼儀やマナーは、人間関係を建設的に構築してより善い永続する関係を築く上で本当に大切なのであると改めて感じます。
子どものためにも、実践をし、それぞれが建設的に善い方向へと常に循環するようにまず自分の足元から見直していこうと思います。