何か新しいことに挑戦するということがある、根性だけではできないし、テクニックだけではできない、体力だけはあってもどうにもならないと思えるようなことでもその壁を乗り越えて新しく飛躍的な成長を遂げていくのが挑戦ということの意義でもある。
スポーツや仕事でも何でも、「心技体」というものがある。
これはイコールであり、つまり心=技=体はすべてが同じほどの調和をしていくことが大切であると述べているのではないかと私は思う。
仕事でも、いくら心がまず決まってもそれをやる技術が同等に修練できていなければ心が折れそうになることもある、それでも心が決めたとやっていることで技術は次第に追い付いてくる。また同じくそれを維持していく体力としての実践が日々に習慣付けられてはじめてすべてがバランスよく追いつき事を大成することができるもの。
以前、私はバレーボールの体験でも同じような思いをしたことがある。
いくら心が決めたとしても、そのための技術の練習はまた別に創意工夫して何度もチャレンジしていく必要があり、またそのために体がついてくるための様々な基礎力を磨き全体として総合的に力を身に着けることではじめて試合で活躍しチームを勝利へ導いていくことができた。
個人だけでやってきた力ではチームは導いていくことは難しい、チームを導いていくための心の覚悟を決めたら、そのための方法をたくさん練習し技術ややり方を磨き、そしてそのために体力という実践を積んでいき新しい自分を刷新していくことだと思う。
これはスポーツに限らず語学の習得でもそうだけれど、やろうと思っただけではなく決めたら具体的にやり方や実践を続けて失敗をたくさんしつつも最終的には決めたところまで遣り抜くや遣り切ることで責任を果たせば自然に心技体は調和するのであろうと思う。
しかし視点が変わらなければどうしても不安や恐怖で身がすくんでしまっている人もある、こういうときは視点を変えてみることである。
逆に今まで思っていたようにうまくいかないのは実は大きなチャンスであるのだとし、それは今まで気づかなかった根本的な間違いを正し、もっと新しいことをやればいいと教えてくれているのであると素直に感謝してみることである。
しかし人はちょっとうまくいかないと、ネガティブに考える人と、ポジティブに考える人がいる。どちらも課題があり、ネガティブだと挑戦をそこで怠ってしまい結局、技術、体力がついてこずに心が折れてしまうことがる。
またポジティブな人は、うまくいかなくても大丈夫とやってくのだけれどつい驕ってしまって注意力散漫になってしまい全体的に雑になっていくこともある。
冷静な情熱を持って、何が不足しているのか何を伸ばせばいいのかその心技体すべてのバランスをよく客観的に観て弱いところから鍛えていくことが大切であろうとも思う。そしてそれをさせてくれるのは、今の環境や状況に深く感謝し尽くすことであると私は思う。
チャレンジするのは、まず今に感謝の心を主軸にその心技体全部をまた一回りバージョンアップするために練習と訓練、実践、また練磨修身などを繰り返し継続していく勇気と行動のことである。
自信がないのは、健全な証拠であり、不安なのは自分の実力を観えているからでもある。これは孫子ではないけれど、「己を知り敵を知れば百選危うからず」は自分の本当の今の実力を正確に見極めているからでもある。
チャレンジするのは、それを必ずすべて善いことにしてみせるという覚悟が決めるもの。
人生二度ないのである、思い切ってチャレンジする人を後ろから支えていきつつ自分もチャレンジを楽しんでいこうと思う。ガンバレとエールを送りたい。