個性と自由

教えないということは大切なことである。

その人の自分がもっともやりたいことが、世界のためになったり、その人の持つ最高の個性が人々の貢献になるというふうにしていくことこそ自己実現でもある。

今の時代は、先に答えがあるように教え込み、その模範解答を探して苦しんでいる人は本当にたくさんいることのように思う。

自分らしく生きることが認められず、自分なりにやったことが評価されない。とても不自由の中で与えられた微かな自由を自由と思って生きている窮屈な人たちばかりでもある。

如何に自分らしく生きるかは、社会の在り方として見守る必要があり、そして教育のあり方として余計なことは極力しないという風に、相手を尊重して相手のことを信じてあげるようにしないと安心して発達していくことは難しいのであろうとも私は思う。

子どもであれば、自分がやりたいことを見つけるために環境を用意し引き出したらそれをどのようにしたら喜びとして見出せ、貢献に換えていけるのか、その仕組みを一人一人にあわせて皆で取り組めるようにしていけるか、そこに見守り手の真の実力が光ってくるのだろうと師を見て学んでいる。

刷り込みというのは、最初に答えを教える事であり、何かの教科書によって正しいということを思い込ませることでもある。

こんなことをやっていたら、その人らしさを出す前に間違っていないかが不安で何もしようとはしなくなるのではないか。そしてその教科書通りに生きていこうと必死に周囲の評価を気にしながら恐怖を感じるのではないか。

世界の学校はもう変化している。

この国は、もうすでに相当数刷り込まれあるがままに物事が観えている人たちも減ってきているけれどまだまだそういう人たちは前線で勘違いだと声高々に真実を語りもう一度根本的に見直そうではないかと伝えている。

できれば、子どもたちのためにも大和魂を思い出し早く気づいてほしい。

自己実現や自分は何者なのか、そして生きる喜びそんなものを存分に味わい楽しむことが人生なのだと示せる大人であることが何よりも大切なこと。

自由に生きていいということを自分から刷り込みを取り除き実践することこそ個性を活かすことになると信じるように脚下の道を楽しみ抜いていこうと思う。