人間は夢を持ち、目標に向かって日々に念じて歩んでいけば必ずその道の上にある繋がりの中で探していたものに出会うのであろうとも思う。
しかしその道が自分の思っているような真っ直ぐではなく、反対の方に曲がっていたり、いきなり細くなったり、急に下り坂になったり、真っ暗になったりなど、突然、目の前の現象が急変することもある。
そういう時に、不安から歩くのを恐れてやめてしまったり、自分の道でもないのに横道に逸れてしまったりすれば、道を悠々と歩む楽しみを味わうことができなくなったりもする。
道を歩む中で、頭上がいくら雲に隠れようが雨が降っていようが、いつもその雲の上にある太陽、お天道様だけを観続けて心を素直でいれるかが大切なことになる。
待つということは、念じるということであり、念じるということは祈るということである。
歩みを止めずに道を実践し、焦りや奢りといった欲を沈めるためにも祈りを続けることでイメージが明確になっていくのであろうとも思う。
純粋無垢で素直な祈りは、自然のあるがままの姿に近づくのだろうとも思う。
それは、自然の植物が天に向かって真っすぐに伸びているようにただ日々を信じて健やかで安らかでいるようでもある。
何もない当たり前のことこそが奇跡であり、その中でも歩ませていただけるということにどれだけ感謝の祈りを込めて充実した日々を送ることができるのか。
結果も大切だけれど、プロセスはもっと大切だということである。
旅路には休憩があっても終わりはないのである。
そういうことから楽しむための気づきの感性を磨くことができ、さらに夢のイメージが鮮明になっていき出会いに導かれるように夢になっていくのであろうとも思う。
今の時代は、幼い時から派手に編集編纂し加工された情報やネオンや騒音、その他さまざまな便利なものにより赤々とした照明ばかりに目がくらんでしまっている人がたくさん増えている。
はじまりを誰かにいじられ、子どものときから身近な環境が刷り込まれていれば、バランスがそこからズレたのだから何が本当のことなのかということも気付くこともない。
幸せに生きるとは、純粋に素直に正直に道を歩む中で絆や繋がりに奇跡を観ることでもあり、毎日生かされている実感を味わうことでもある。
道が正しく歩まれるように浄化するのは自分自身の祈りからである。
日々に祈り、日々に念じ、行いを怠らず、心安らかに道を歩ませていただくようにと努めていきたい。
まだまだ修行をさせていただけることに感謝し、明日へと続く道を掘っていこうと思います。