私たちは、都会で生活する中でそもそもの人間らしい生き方とは何なのかということを見失うことがある。
都会に住むと、便利や効率といったようなすぐに手に入るものや人間側にとって都合が良い物ばかりがサービスだとし、それをお金で享受されることは当たり前だということになっている。
食べもので考えれば、食べたい時にすぐに食べたいものはお金で買える。コンビニやファーストフード、ファミレスなどといったものが最たるものでそういう便利な生活に馴染んでしまっているとそもそも食とは何かという出発点から狂ってしまうことになる。
元々のところから考えれば、食とは命であり手でひとつひとつ育てたものを工夫して料理しその恵みをいただくことである。都会にいようが田舎にいようが、生き方としての食というものをどれだけ大切にしているかどうかということになる。
都会では、電気も水も食も空気まで人間の思い通りになるようにと設置されている。私たちが必要と思えば、それがすぐに身近に効率よく手に入ることこそが都会に住んでいるということになる。
その先にあったものは、関わりの希薄さや孤独さ、不便なものや効率のよくないものの排斥、さらには頭でっかちに刷り込まれた虚像の幸福など計り知れない不自然さが私たちの心の出発点に大きな影響を与えている。
そしてそれが意図的に人間が循環をさせたように見せた持続しない社会と経済を生みだしている。
もともとのエネルギーとは、一切は必要なものしかないと智慧と工夫で皆で無駄なく無理なく使っていることでフルに活かすことができる。それは電気でも水でもすべて等しく、「せっかくだから使わないともったいない」というそのものに命の役割を与えていくことでエネルギーを共生させていくことが循環するということでもあるのだろうと思う。
出来る限り、そのもののお役目通り使っていくことで価値をさらにお互いに高め合っていくという関係性のことである。
物や人、物と物、人と人もすべては関係性をどう創るかというものになるのであろうとも思う。それは、その繋がりや絆のあり方の中で私たちがどのように感じてどのような生き方を選ぶかということが何よりも大切であろうとも思う。
都会にいようが田舎にいようが、日本人としての大切にしてきた伝統文化や個性は私たちの生き方を決めてきた証でもある。
その証に従って、絆の中にどのような結びを持つのか、そこには「いただきます」や「有難う」「御蔭様」「ご苦労様」、日頃の生活の中の言葉ひとつひとつに心を籠めて使わせてもらうことであり、そういう気持ちをどんな環境の中にいても忘れないことこそが私たちの出発点であるのではないか。
私は日本人に生まれて誇りを持っている。
大和魂は、自然との調和の中で私たちが大切にしてきた生き方のことである。そういうことを長い年月かけて生活の中で培い、自然に対して傲慢不遜な生き方をせず、自然を敬い謙虚に生きてきた真善美がそこにある。
私たちの真善美の原点は、この大和魂によるものだ。
都会の中にいるからこそ、日本人としての個性を発揮していくのが今の世界でお役目を戴くことである。何よりも、自らの使命を輝かせるように個性を最大限発揮するためにかんながらの道を邁進していきたい。
自然の叡智を学びつつ、もう一度最初から学び直しをしていきたい。