自分の舞台

自分が生きている世界というのは、自分で生きるかどうかということによる。

誰かのためにをしては自分をなくそうとし、自分のためにとしては自分を出そうとしても、それでは決して周囲に本当の自分で生きているとは理解されることはない。

自分を出すや自分をなくすなどといった中での自分では決して本当の意味で自分が理解されることはない。自分の役割を自分で決めてしまうことはできず、本来の役割とは皆で自立してやっている中で自然に分かれるのが役割なのだから役割による貢献や共生もそこからは生まれにくい。

そこで大事なのは、その自か他かを超えた真の自分であるかどうかということになる。言い換えれば真の自分であるかは、自分の人生を信じているかどうかということでもある。

つまりは、自分で自分の人生を丸ごとを生きているということである。

いつも自分のことを誰かのせいにしたり、何かのせいにするのは、自分の人生をどこかで自分が疑ってしまっているからであり、そういう自分目線で他人を見るからまた自他を信じきれないのである。

本当に自分を生きるというのは、自分の人生なのだからこう生きると決めることなのである。それは自分を信じる事である。

そう決めてしまえば、諦めなくなる、つまりは諦める必要がなくなるという意味で自分ですべてを遣り切ればいいだけなのである。それが自分の人生なのである。それをそうやって遣り切らないから生き方が自分の人生にならないのであろうとも思う。

吉田松陰先生も、最期の最期、その処刑されて命を絶たれるまで自分の人生を遣り切り、その生き方を貫き、自分で示した。その生き方に私たちは感動し、命を燦然と輝かせた光がなお、この今、この世にのこっている。

そういう命の灯からまた灯を貰い、志の燈を継承しているのも私たちの生きざまなのであろうとも思う。

自分で決めたことを自分で遣り切るということは、其処で生き方を示すことでありそうやって導くのが真のコンサルタントなのであると私は信じている。

そして大和魂とは、そういう実践の中にこそはじめて言霊として人生を彩るのであろうとも私は思う。

どう生きるかは、そういうものになりたいかはすべて自分が決めること。

今のような時代、自分のことを人任せにして自分は何も変えようとしない人ばかりが沢山いる中で本人たちも刷り込みによって苦しんでいる。

自分らしく生き、そして調和していく中で貢献できる真の幸福を模索していきたい。

自分らしく生きていい、だからこそ自分らしくいることだとその人のことを丸ごとで包みこめるような応援を真心のままで素直に感じ取っていたい。自然の心そのままの信じる真我を味わい、豊かさを感じてはじまりからおわりをまた楽しんでいきたい。

自分の舞台で、自分らしく命を輝かせて生きていこうと思います。