人は自分のことをどれだけ信じるかというのは、自分の人生を生きる上で何よりも大切なことであると思う。
自分で自分を信じる事ができなければ、身の回りに起きるどんな現象も出来事もマイナスにしか観えず、どんなモノゴトも前向きになれないからどうやって楽をできるかしか考えないようになってくる。
そうしていると何をするにも面倒だと思えるようになり次第に怠慢になっていくようになる。
何でも自分が楽をするというのは、常に自分の方が苦を呼び込むことである。
それは決して楽しむということと同じではない、楽と楽しむは同じではない。
楽しむというのは、苦も楽しめるということであり、それは自分を信じているということであると私は思う。
人生を楽しめるのは自分自身が人生で経験する一切はすべて善いことなのであると自分自身を常に信じているからできるのである。
誰かによって信じられたり、信じさせようといちいち毎回自分に言い聞かせるのは、信じるという自分自身の心の努力を怠る行為になる。周りを見ては、信じてもらおうと振る舞い、周りにあわせて信じているように自分を見せるのは自分を疑っている証拠なのである。
そのうちそういう心の努力ではなく表面上の感情の処理の連続が偽や欺、疑や擬を沢山積み上げ、同時に自分の心にも信じられない証拠が沢山集まっていきいつも不安や恐怖などが付きまとうようになっていく。
そうなればいつもビクビクと現象を見ては反応するようになってしまう。そうなればもはや感情の渦の中や感情の殻の中でもがくだけである。
そうならないためにいつも素直に心の努力を怠らないことである。
自分の心が素直に自分を信じるように、いつも前向きにすべての困難や苦を体験することを厭わないようになることである。例えば仕事では、自分が楽をするための仕事を避け自分から大変な方や問題の方に自分を信じて突き進んでいくことである。お役に立つ方、大変な方、貢献する方を選択するのである。
そしてそれを最期まで遣り切ったとき、つまりは最期まで自分を信じきったときに心を籠めて取り組んだという心から感じたままの世界が観えて広がっているのだろうと私は思う。
夢を叶えていく人生とは、心の努力を怠らない人生なのである。
だからこそ、自分が自分を信じるという心の実践を積み上げていくことで自信を着けていくことを日々に大切にしていくことである。
常に相手は自分自身の心。
心を相手に努力を怠らず、自信を持って楽しみ抜いていきたい。自分を修めて、たくさんの命に貢献できるように心を練り上げていきたい。