初心の場所

初心を忘れずという言葉を深めてみたことがある。

この初心とは、最初に自分が信じた心、つまり素直に自分から湧きでた心で感じた言葉といってもいい。自分が素直に何を信じて生きるのかを決めたことが初心ということになる。

しかし人は、すぐに環境や状況に心が流され最初に信じた心よりも信じられなくなる理由ばかりを自分に言い聞かせるようになり、次第になぜ自分はこんなことをしているのだろうかと今さえ分からなくなってしまうということが往々にしてあるものだと思う。

特に、信じるという行為を自分からではなく相手の反応を見たり、相手にあわせることばかりに意識が囚われると余計に自分自身の心よりも表面上の感情で右往左往してしまうことがあるのであろうとも思う。

これはすべての人に起きうることであり、信念を醸成するために必要なことでもある。

そんな中でも最期まで自分自身を信じきれるかどうかで、自分らしい人生の明暗が分かれていくのであろうとも思う。

自分を信じるという行為は、自分が選んだ道だからこそ何よりも自分が必ず善くしてみせるという最善を念じることにより強固になっていくもの。

そしてそれは、自分を疑いたくなる時にこそ初心を取戻し、その信じたままの初心でいれば信念が自分を思い通りの心のままにすべてを導いていくのであろうとも思う。

心の世界とは眼とは違い目先があまり見えないけれどこの世界そのものの存在は心で感じて創られているからこそ、この絶対的な心の場所が明るく積極的でプラス思考でなければ思い通りに体も心も渾然一体にはなりはしない。

私で言えばこの渾然一体とは、「直観的な場所と行動が合わさるタイミングの妙にバランスを見出すことで人生を味わっていること」なのだけれど、人はそれぞれに自分なりのやり方で初心の場所を習慣にし正しく持つことが大切であろうとも思う。

自分がもっとも自分を信じるときが、それがどのような不思議な感覚であるかという体験を通して学び、そのバランス感覚を自分が信じてあるがままに生きることが本来の自分らしい感覚ということであろうとも思う。

初心は決して忘れてはならないものである。

子どもたちが、迷うことがないように実践を通じどんなこともまずは初心を尊重しながら常に心の答える日々を楽しんでいこうと思う。