子ども心の七つ目には、「遊ぼう」と素直に好奇な本能を開いている心がある。
子どもは、自分の知識からではなく自然に命あるものを観て本能の心を持っている。
例えば、虫を叩いたり何かを壊したりと残酷なことをしてみたり、そのあたりのものを手当たり次第扱いまわしたり、様々なことを好き勝手にして飽きるとまた捨てるように子どもは刹那的な感覚で無心にやっていることがある。
そしてこの「遊ぼう」には、自然が大きく命をあわせている中で本能のままに無限のものを捉えようとする気持ちを同時に感じきっているのである。
子どもにとっての自然とは、無限の感覚の中で意味のあるなしに関わらず本能の赴くままに遊んでみたいと思っているようなものである。
理由や理屈などはなく、ただただこの自然の姿を心で捉えている感性が生きているのである。
この命が響き合う世界で、本能のままに遊びこむことで自らに気づくことを呼び込もうとしているのである。気づくのは、無の中にある何かに本能は気づいているからである。
この「遊ぼう」と素直に思える心は、子ども心のことである。
本能が遊ぼうとするその答えを直観と真心で受け取っているのである。
次第に大人になるとそうではなく、遊ぶことまでも考えなければできなくなったり、遊ぶことにまでいちいち意味を持たせようとして意識の中でやっていることが遊ぶことだと勘違いしていたりする。
子どもはそうではなく、自分の心の一部としてあるがままに自然を感じているから自然に「遊ぼう」と純粋な心で本能の言霊を発しているのである。
これを子ども心の七つ目として書いておきたい。