生きていく上で、次第に知らなかったことが分かるようになってくる。
今まで当たり前にやってきたことが、ある時それがとても恥ずかしいことだったと思えるようになる。そうなると今までやってきたことが恥ずかしくてできなくなる。
そういう体験が人格を陶冶し、人を謙虚にしていくのだと思う。
それをいつの歳になってもいつまでも気づかずできない人もいる。
それが善くないことだと思っていなかったり、それを深く感じる気持ちや体験が薄いといつまでも分からず気づくこともできなかったりする。他人に迷惑をかけないということの意味が分からないでいるといつまでも恥ずかしいとは思わないのである。
対人関係などでは、例えば誤魔化すことであったり、うそぶくことであったり、忘れたなどと約束を破る事であったり、その場で対面体裁を取り繕うことであったりと、人は信頼という繫がりの中ではじめて協力しあえるということをいつまでも知らないと大人になってからとても恥ずかしいことをしてしまうことがある。
いつも堂々として人と関わるには、心の配慮という基礎力が必要になる。この心の配慮の基礎に常に信が入っているかということである。
人は常に自分のことばかりを考える人ばかりである、だから何をするにも打算や計算をして人と付き合う人が増えるのも頷ける。ちょっと気を抜けば、余裕を失い自分ばかりを優先し相手のことを考えないで行動していることもある。
しかしそれでは本当の意味で自分を周囲に活かしていることになりはしない。
自分を活かすには、常に周囲や相手の立場になって心から慮り自分がどういう行動をすることが最も相手のためになるのかという思いやりを誠実に実践することが自分を貢献のために使っていることになるのだ。
人間は一人で生きていくことは絶対に不可能だからこそ、当たり前のことを正しく自覚し、おかしなことをしないようにするためにも知らなかったことに気付く感性が必要で、それは常に恥ずかしいことを何かしていないかを学ぶことなのである。
子どもたちの模範になるよう常に素直に自分の行動を慎み内省し、謙虚に他人に誠実であることを実践していくことで精進を積んでいきたいと思います。