人は少し離れていただけで成長したことを実感するものである。
子ども達でもそうだし、身近な人たちでもそう、日々に一緒に住んでいるとその成長ぶりが分からなくなる時もあるけれど少しだけでも離れると確かにそこに成長の証をたくさん見つけることができる。
少しずつ微細に変化していく成長というのは、確かなものがありそれが時間をかけることによって偉大なことを成し遂げることを観かけると生命の神秘を感じずにはおれません。
「何かやりたいことがある。」
これを成長の中から見出すことができるのは、その生命が確かに自分の思うようにと真心で生きているのを実感するときかもしれません。
人は自分の願っている方、自分の信じている方に向かってそれぞれに生きようとします。自分の頭の中では望んでいなくても、心が信じている方へと次第に周辺の環境を自分を成長させる方を選ぼうと無意識にでもそこに向かって成長しようとする。
それを信じる事が、成長を助長するということになっているのだと思います。
何を信じるかというのは、自分と自分のいる世界を信じるということ。
つまり成長の通して観ることができる実相の世界こそが誰よりも成長という真理を望んできたから今が存在しているのだと感じれるのだとも思います。
そしてそれをもう一つ鮮明に確信させるものは、感動と出会いというもの。
人は水面下でその成長に必要な出来事を出会いによって結びつけていくのだとも思います。
成長の方向性や成長の方針によってまた出会いという絶妙な縁を結び、その大和の中で新たな自分を発見していき感動しまたすくすくと自然に育っていく。
そういう世界を見守ることが保育だとして、日々は感動に満ちていると実感することがこの学びの歓びの本質であるようにも思います。
忙しい日々に、少しだけ離れてみると成長を歓んでいる心がある。
まだまだありのままのあるがままの速度で、ゆったりと心楽しみながら成長を味わっていきたいと思います。