一期一会

沢山の素晴らしい出逢いを求め生きる日々は、たくさんの奇蹟と出会う日々でもある。

ある日の蝉の声がとても澄んでいることに驚いたり、ある日の川のせせらぎが永遠の瞬間のように美しく響いているのを感じることがある。他にも、光がキラキラと差し込み揺れている緑の木々や風が通り抜けている森の水辺に生命の揺らぎのようなものを感じることもある。

自分の心が澄んでいるならば、人は様々な奇蹟に出会うのであろうとも私は思う。

人は人との間で生まれる雑念を捨てて、自らが素直になり心が澄んだときそれまでに見えていなかった大極的な実相を観てとることができるもの。

頭が日々の雑念に執着すれば、不安定になり日々の奇蹟に出会うことができなくなってくるものだ。

一期一会とは、そのすべての出来事の中に在る妙に出会うことでもある。

深遠な世界が、日々の微細な感覚に照らされ顕われてきて心がそれに感応することは人生の歓びの瞬間でもある。

そういう日々を積み重ねていくことは、素晴らしい時を経ていくことに繋がっている。

執着はいろいろとあり、時への執着や歳への執着、物や人、様々に自分の頭は心の澄んだ感応とは逆のことに囚われるのだろうけれど、素直な実践で自然から学べば人は自由に今というものを謳歌することができるのだろうとも思う。

いつも心が澄んでいるのは、自然があるからである。
この地球で私たちは生きているのである。

地球に寄り添い、恵みの中にある今を楽しんで生きたいと思う。子どものように心をむき出しにしながら素直に明るく楽しく笑っている日々を過ごしていきたい。