旧友へ

先日、久しぶりに昔一緒に働いていた社員から連絡があった。

今では個人で独立して仕事をしていること、以前と同じように営業を続けて人に喜んでもらえるようにと努力していること、いろいろと現状のことを報告してくれてとても嬉しくなった。

今でもその当時も私の至らなさや未熟さは変わらないけれど、今では考えられないようなマネージメントをしていた頃のことでもあったのであの頃は冷たいことをしたかもしれず申し訳なかったと素直に謝ると思ってもいない言葉をかけてもらった。

あの頃、厳しかった私の毎朝の気合いの篭った5分間朝礼や緊張感でピリピリするような熱い叱咤激励が今の自分をいつも支えていますと言われたのはびっくりしたものだった。あの当時の、情熱的な話に何度も魂が震えてそういう自分にいつかはなろうと今でも目標に頑張っていると言われたりもした。

あの当時から今でも一緒に働いているクルーによればあの頃の私がトラウマですとまで言われ、何だかとても申し訳ない気持ちになっているけれどそうではない場合もあるのだと思うと不思議な安堵感も次第に湧き上がってきた。

人は、自分にとって価値のある部分、本当に善い部分だけを抜き取り、それを学び自らが正しく成長していく糧にしていくものだと思うと、本当に無駄な出来事などは一つもなかったのだと有難いと思える気持ちになってくる。

人間は、すべてのことから何一つ過不足なく生きることを学びそれを自分にとって人生に必要な成長の材料にしていくことができている。

その当時の結果だけで、短絡的に自分都合の感情で善悪や良否を決めるのではなく、このことが必ずお互いの何かの成長の機会や無二の財産になるのだとすべての体験を丸ごと味わいそれを将来のために活かすことが私たちが精進する道の上の実践の心構えで在る必要がある。

今、どのように昔の体験が生きているか、決して停滞や不毛などではなくそれは必然的に御互いの成長に必要だった期間があるからこそ出会いがあったと感謝にまで昇華し思えることが世界を絶対肯定をして全てを丸ごと信じるという真心になっていくのであろうとも私は思う。

久々に連絡をくれた彼が今悩んでいることは、その当時の私もとても悩んでいたものと同じでもあった。人は皆、同じように悩み迷いそして発達して会得していくのだと思えばすべて心配ないと自信を持って彼を励ませる自分に何だか不思議な安心感を覚えるものだ。

人生は一期一会、今いる場所のすべてを丸ごと受け容れながらこれからもすくすくと素直に成長し社会貢献できる立派な人になってほしいと願います。

久しぶりに声を聴けてうれしくなりました、別れた人たちは皆今どうしているのでしょうか?きっと彼と同じように悩みながらもすくすくと自分らしく生きていることと思います。

これからもお互い自分の現場で試練を味わい自分の道を迷わず歩んでいきましょう。

ご縁あった皆さんの健やかな成長を、また一期一会を心から祈念しています。