信じるということは、人との繫がりの中で生きていく上でとても大切なことである。
自信がある人というのは、他人の目を気にして自分を守ろうとする人ではなくいつも心が周囲に開いていて何かがあれば自分から貢献しようと生き方や姿勢が常にお役に立てるようにと働きかけているから社会の中で調和を生み出し居心地良い思いやりの関係を結んでいくことができる。
その逆に自信がなく臆病な人がいる、なぜ臆病になっているかというといつも自分が他人にいつか拒絶されるのではないかと他人を疑い無意識下に周囲を敵視しているからいつまでも心を開けず自分を守る事の方ばかりを気にするから他人の目が異常に気になってしまうのである。
臆病な人は、相手次第で信じていいものかといつも疑いから入る、そして自分が傷つかにように予防線を張り巡らし、自分なんてどうしようもないという自分を自分で責めることで人から責められないように先に防御する、そういう自分のことを信じない姿勢が他人に対する傲慢な姿勢になり他人から嫌われ敵視されてしまう根本原因になっていることにも本人が気づかないのである。
もしも人は自分の周りがすべて敵だとしたら誰だって臆病になるのであり、そうではなく自分の周りはすべて味方だとなったら安心できるのである。
誰かのせいにしたり、何かのせいにしたりできるのは、自分を信じることを自分から避けているからであり相手に求める方が解決できると勘違いしているからである。自分を信じてもらいたい、誰かに認めてもらいたい、分かってくれよといつまでも甘えて何か自分を守ってくれるものに寄りかかりたいという不安の顕われなのである。
どんな理由にせよ、今の自分が素直に正直に生きていくというのは何かのせいにではなく全ては自分が間違っているのではないかと自分に矢印を向けきれるかどうかである、矢印を向けた風で乗り切りその場しのぎで我慢するとどうせ噴出してしまいまた裏目に出てしまうのである。
本心から間違いましたと自分が受け容れたところで他人の話が素直に聴けてそれを正直に改善できることこそが実践を積むということである。
他人を信じる事は、自分から信じる事であり、他人を好きになるには自分を好きになることであり、他人を尊敬するためには自分が誇らしいと自分を尊敬することであり、自分の影響は他人の人生に大きな力を与えていると自分自身が自分を尊重し周囲に素直な心を開いていくことである。
今までの環境がどうであれ、これからの生き方は自分で決めるものだから信じるということの本当の意義を人間関係を通じて学んでいけばいいのである。
自らの間違いに気づける感性、素直に正直に自分から自分を変えていく勇気、自分を信じることで自信が積み上がっていくのであるから、思い切って怖がっているものから手を放してみることである。
成長の糧とは、まるで木々や植物が水をろ過し綺麗に澄んだ水をぐんぐん吸収していくようなものなのである。
それは素直に正直になることで、次第に心身共に澄んでいくのである。
これからも子ども心のままに成長を楽しんでいきたいと思います。