自然の生き方

古来より私たちは大自然の生命圏、地球号の中で様々な命と共生し、自分もその繋がりの一部としてのお役目の道に沿って歩んできたものであろうとも思う。

これは虫たちや動物たち、植物たちや目にも見えないような小さな生き物たちまですべてはそれぞれに与えられた宿命的とも言える命の道に由ってそれぞれの天命を全うしながら生活を営んできたのだと私は思う。

その生を全うするというのは、思い通りにはいかないことの連続をあるがままを受け容れ自分を認めてその命じるままに今を生き切っているものだ。

自然界は、日々の営みを丸ごと信じきっているかのようでもある。

しかし、今の人間の意識はすべての中心を自分にするという人間至上主義に陥り、自分の思い通りにいかないことをいつまでも受け容れようとはせず命の道に反する生き方が今まで循環してきた繋がりを断絶させ自分たちだけの都合に歪んだ不自然の世界に生きようとしている。

食の問題も、環境の問題も、経済の問題も、教育の問題も、その根本となるところで人間がこの世を支配しているという錯覚そのものがすべての問題を根底から歪めてしまっているということに気づきもしない。

いくら科学技術の力で誤魔化しても、いくら情報技術で偽ってみても、真理はいつも一つに存在しているものであり真実は隠すことはできないのである。自然の驚異を感じれば如何に自分たちが大きな思い違いをしているのかをすぐに理解することはできるはずである。

宇宙などすべてのものを繋がっている世界でモノゴトを観て感じていれば自然の中で活かされているのを知りそこには自分だけで生きているのではない常に満ちている命の世界の豊かさや安心を覚えるはずである。

自然の中での人間らしい生活というのは、すべての生死を受け容れる真心の境地で人間は人間らしく自然と一体になった中で自他を思いやり周囲と共生し貢献しあうことで営んでいくことである。

生き方としての今を見つめ見直し、全てを繋がりの中で丸ごと受け容れ自他の境を消し去って渾然一体の自然に生きることがかんながらの道の本質でもある。

よく目を凝らして曇ったメガネをはずして観れば、とても緩やかな悠久の時間の中で私たち以外に一生懸命に命の道を歩んでいる仲間たちと共に活きている。

その仲間たちはその命そのもののすべてを受け容れ、どのような環境下であったとしてもそれを丸ごと否定せず、あるべきあるがままに委ねて自らの役割を尽くし自然の中で穏やかに真摯に歩むことを続けている。

そういう自然の営みの中から様々な自分の間違いに気づくことこそ、人間本来の姿を思い出し、様々な歪みを解決するカギとなるのであると私は信じている。

根底に存在する命の道、その自然の生き方とは一体何なのか?

自然の生き方とは、万物は一体に繋がっているのだと悟る事であり様々な命のめぐり逢いを通じて絆を結びその歓びに在ることであると私は思う。

「この世の全ての持続可能な世界の本質は、悠久の流れとかんながらの道にあるのだ。」

人間の思い違いに刷り込まれて隠れてしまった永続する道を掘り起し、未来の子どもたちとの命の絆を守っていくために伝承しこれからも自然から学び新たな道を切り開いていきたい。