独立自尊と自然

震災後、人間本来の自然の生き方とは何かについてより深く学び生活をしていくために田畑を借りることになった。

旧知の同志である親友も協力してくださることになり、稲を不耕起栽培という哲学と技術で一緒に取り組むことを決めた。

具体的には、私たちが保育で実践して広げている見守るということを自然から学び応用する考え方と共通しており、新たに日本の一つの思想体系として子どもたちの未来へ繋がる原種になると確信してはじめているものである。

昨日はその田畑を観察し、自然の前に立っていろいろな向き合う機会にもなった。

奈良では、実践者である川口由一先生の講義を言葉を通して学ぶという機会にも恵まれた。

昨日は「育つ」ということをテーマにお話ししてくださったけれど、どの世界も共通していることに自立ということの重要性も再認識することができた。

人は何かを学ぶとき、教える側も教わる側もそうだけれど他人が何かを自分に教えるということは根本ではできない。なぜなら、学びの本質とは自分との対話、自分の感じる世界との対話であり、それは本当は何かという真実の実相に自分自らの内面的な自我と正対により一体となって感応しはじめて気づいていくことが学びということの本質であるからでもある。

この自然農についても自ら育つということを念頭に考えたならば。私たちは自分の力で自然の前に一人で立ちあがることができるようになることが何よりも人間らしい自立になっていくということではないかということである。

この一人で立つことを誤解なく言えば、命の中で独立自尊することである。

ここでの一人というのは、一人ぼっちでや孤独に立つなどと勘違いをすぐにする人がいるけれどそうではない。

はじめて、自分というものの本当の存在が渾然一体となることで立つということであり、自然そのもののように自分本来の姿になること、つまりは真我に目覚めて悟ることである。

自分というものを本当に理解するには、その歳年に必要な学びがあり、それを探求し実践を繰り返すことで、長い年月の体験と気づき、本質との取り組みの実践において次第に自らの天命も知るに至るのであろうとも思う。

昨日のお話でも、自然の前に立つ姿勢としてどのような心構えと実践が必要かを学ばせていただきました。

私たちが自然農を営むのは、自然から学び共生と貢献の中で独り立ちするためでもあります。

子ども達のためにも、真我一円の境地に入る実践を豊かに楽しみたいと思います。