夢の乗組員

理念やビジョンに向かって何かを行うときには、そのものを自分がやると決めた人がたくさん集まってこなければ本当の意味で実現に向かうことはない。

仲間というものや同志というもの、同じ船に乗り込もうするには乗せてもらったや、頼まれたから乗ったではなく、自分から自分の船だと覚悟してから乗船することで乗組員の一人となる。

まるで客人かのように乗ってしまえば、その航海に参加するのではなく「ただ乗せてもらっている」ということになってしまうものだ。

自分の船だや自分のことだ、自分のものだといったそのものとの「一体感」とは相手がいてはできず本当の意味で自分の人生とその仕事やその夢が一体だとなっていなければ乗るということになっていない。

航海中は大海原で船長の判断で様々な困難を乗り越えて新しい大地へと突き進んでいく。

その中では、事前に準備することができなかったりしたものを現地で調達したり新しい大地への航海時に仲間との出会いや別れなどもあり、その冒険の日々は夢と希望を載せて限りなく航海路は続いていくのである。

今の社会では、自分で「乗る」と決めていないまま他人事のように船に乗っている人がとても多い。

自分の人生を自分で切り開いていくこともそうだけれど、言われたからや、そうなってしまったからとか、頼まれたからとか、他に誰もしていないからなど、何でも受け身になったままで船に同乗しているということになっている。

同じ船に乗るのなら、なぜ自分の船だと思って一体感を持って自分から乗ると決めないのか、その人の船だとか、みんなの船だからと遠慮しているけれどその心の決め所の差こそが夢を持っているか持っていないかの分岐点になっている。

同じ夢を心に描き、その夢に向かって取り組むとはどういうことかといえばそのリーダーが描く希望や明るい未来を自分の生き方と同じだと思えるか、そしてその生き方を自分も「やる」と決めているか、それが「自分のもの」となって夢を共に実現するクルーになるということなのである。

自分から「乗る・やる」と決めるかということ、それはこの航海を最期まで遣り切るかと決めることでもある。

そしてまさにそれが「自分の生き方を決める」ことなのである。

生き方が変わらなければずっと人生はまるで客人のように、自分という船すらも乗りこなすことができずただただ漂流しているいるだけの存在になる。

この天地の間に生きる間において、自分を活かすのも自分、自分を育てるのも自分、このたった一つの自分を大切にすることは、自分の決めた生き方を優先することからが原点なのであろうと思います。

どんな仕事も、どんな役割も機能するときは何よりも自分の決意であります。

自分の心の置所ひとつで人生はがらっと変わっていくのです。

決めるというのは、自分のもの自分のことだと思えるかということなのです。

永遠の真理として、人生の主役は自分、主人公は自分なのですから。

日々は、自分の主人公である心がけ次第です。

一日一生という言葉を先日、メンターからいただきましたがその言葉の意義を味わいながら実践を楽しんでいこうと思います。