守ること

先日、コンサルティングに入ってから4年目になる園内の視察を行った。

御互いに取り組むことを決め、実践を続けていくと3年目くらいより現場の随所に様々な信が顕われてくる。今回の視察でも、互いに信じて守ってきたことが理念として形ができてきているのがよく分かる。

何よりも理念を掲げて信じて遣り抜いたことで新たな境地に達している姿を視ると、子ども達のためにという真心が本気であったことを感じます。

当然、仏教園なのでお釈迦様の御蔭、子どもたちの御蔭、見守ってくださったすべての周囲の御蔭だとは思えども、正しい努力を続けてこれた皆さんの本気が天に通じたのだと思います。

私自身、改めてとても感動する日となりました。

私たちの会社の役割も、改めて実感し、共にこれからも日々に新たに挑戦していきたいと思います。

今回の要諦としてまとめておくと、何を守ったからそうなったかということが重要になる。その守るという概念、守るということの本義、守ることにより信が生まれそれを守り続けることで信を積むということである。

森信三先生の恩師に西晋一郎先生がいて、こういう言葉を遺している。

「信ということも色々に言い得るのでありますが、先ず信は守るなりと言う。物はすべて守らぬと物にならない。また自分に信じるところがないと守るとはいえない。守るということが信ずることであり、信ずるから守ることとなる。」

これは私も同感で、守り続けるのは信じているからである。何かを決めて守るのは、それを信じている証なのである。決めたことを守れないのは、信じる事をやっていないからである。一度決めたら、守ること、守っていることこそが信じているということになるのである。

またこういう言葉も遺している。

「春花を開き、秋実を結ぶは天地の信でございます。また、一握りの肥料も多く施せば必ず其れだけの効果があり、一鍬も深く掘れば必ず其れだけの効果のあるも、草木自然の信であります。この天然自然の信に違わぬよう人間も信をもっていきます。」

そして続けて、

「天地自然の信は人間の手本になりますが、人間の信によりまして天地の信も生きてきます。」

とある。

この信というもの、自らが信であるからこそ自らを活かし周囲を活かすことができるのである。

常に自らが先ず「守る」「守り抜く」とはどういうことか、理念というものをどれだけ優先して取り組んだかが変革の要諦である。

これからも社業を通して、見守ることを実践していこうと思います。