目から鱗が落ちる

色々な人に出会う中で人は人生を彩り豊かにしていくものである。

今までの自分の知らなかった新しい生き方に触れることで、人は自分の人生をどうすべきかということに気づく機会を得られるのである。

自分がどう生きるのか、どう生きたいのか、漠然としていたものから明確になりそれを覚悟するというように人は自分の人生を豊かにしていくプロセスを経ていくのであろうとも思う。

以前、師と講演行脚を同行する中でもっとも多かった聴衆の声に「目から鱗が落ちた」というものがあった。その時は、同じように自分が話したとしてもそこまでの感嘆は得られずなぜだろうと疑問に思い様々なことを試したけれど同じようにはならなかった。

もともと目から鱗が落ちるようなものは説得や説明などのテクニックでできるようなものではない。

その人本人の目の鱗なのだから、その人自身が何かに気づいて自らで落とすということになる。

その当時は分からなかったけれど、今では分かるようになったのはそれはその人の生き方に感動したから目から鱗が落ちたのである。

自分の今までの誤った生き方、迷い惑いから目覚めた時にポロっと鱗が自然に落ちるのである。自分の生き方とあまりにも違う人を目のあたりにしたとき、自分が今までやってきたことは間違っていたと素直に気づくからなのである。

人は出逢いによって、その機会を得られ誤りに気づくことになる。

出会いが人を創り、出会いが人を目覚めさせるのである。

いくら相手を変えようとしても、変わるのは相手自身の問題なのだからいくらこちらが一方的に頑張って話をしてもそれでは相手は変わらない。自分の生き方、自分の生きざまに触れてもらって本人が自らの誤りに気づくかどうかは相手の問題なのだから真摯に自分を生き切ることである。

自分が自分らしく生き切ることこそが、相手の人生に気づきやキッカケを与えてチャンスを広く大きく創造していくのである。

相手を思いやるということは、自分らしく自分の人生を生き切ることである。

誰にも我慢せず、誰にも遠慮せず、自由に自分らしくいることである。

それは自分の決めた生き方を何よりも優先するという、覚悟なのだと思います。
根本的には、人は自らだけで変えることができません。

出会いが人を創っていきます、先入観を捨てて新たな出会いやご縁を楽しんでいくことが自然な姿であろうとも思います。

一期一会の座右に恥じないよう、自ら「生き方」を何よりも大事にして御恩返しを社会にしていきたいと思います。