水のように生きる

あらゆる生命には、感情というものと心という時空の次元がある。

少し比喩でこれを例えてみる。

感情というものは波風がたってうねうねとしているような水面近くのようなもので、心というものは水面下の静かで穏やかなところといった感じだろうか。

風が吹けばすぐに水面は波立ってくる、しかし風がやめば時間が経つとともに次第に穏やかで静かないつもの風景になる。もしも嵐が来れば、水が濁り様々な流木や枯葉なども飛んで混ざったりもする。

しかしまた長い時間を経て、水は澄んできていつもの穏やかな風景となる。

そしてそこには一年という四季があり、春夏秋冬を繰り返しつつ環境の変化にあわせてその水溜まりは今という永遠の中で変わり続けていくという感じだろうか。

同じ水でも変化がある、水は水だけれど色と透明なところがあるのである。
生命というものは、とても観念的であり絶妙な美しさがあるものである。

水のようなものを感じるとき、生命の動静を感じることができる。
生きているということは、まるで水のよう。

色々なものに変化し、色々なものを宿している。

この世の一部として存在しているのは、私たちが水だからであろうと思う。

昔があるのは、今の御蔭、未来があるのも今の御蔭。

瑞々しい思い出を通して、私たちの生命はいつまでも輝き続けているのだ。
美しい思い出をたくさん持つことは、素晴らしい人生を創造していくこと。

水から学び、水から生き、水から流れ、水から受け容れ、水のように生きていくのが自然の生き方でもある。

その生き方を真水だと私は定義する。

感情も心も水でしかないのだから、これからも真水の境地を楽しんでいきたいと思います。