中途半端

何事も最後まで遣り遂げるということは大切なことである。

よく成功ストーリーやドラマや数々の偉業を成し遂げたシーンでも、目的を果たす、目標を遂げる、最期まで遣り切る、最後まで諦めない等々の言葉は常に飛び交っていることでもよくわかると思う。

何でも中途半端では感動のフィナーレを体験することはできない。

人はどの道でも最期まで遣り抜く中でしか真実を体験することはできない。
それはすべての物事は自分一人で起きているわけではないからである。

例えば、ある目標を立てて最初は一人で取り組んでいく中で自分の全身全霊を尽くしていたら沢山の仲間が集まってきてそして数々の困難という試練を与えられ様々な幸運に恵まれた中で竟にはその手に栄光を掴むことができる。

これは何をしているかと言えば、人間が人事を尽くして天地自然からの天命を待つことをしているからである。

自分ひとりではないというのは、自分が遣り切るからこそはじめて天が味方をしてくださるということで言い換えれば、自分が何よりも最後まで諦めずに全身全霊で遣り切るからこそはじめて天や運、周囲を活かすことになっているのである。

自分一人ではないと言いたいのは、何事も周囲の御力をお借りしてはじめて全体の御蔭で成り立っているということを意味するからである。人は自分一人だけでは何もできないからこそ、自分一人が全力を出し切ることで周囲の力を活かすことができるのである。

周囲を信じて天に任せて人事を尽くすからこそ、中途半端にならないのである。自分の力を出し切らない人には、周囲は力を貸せないのである、これはいつも他人のせいにして生きているから周囲の恩力を借りれないのである。

天を活かすのも人の力、そして周囲を活かすのも自分の力である。
中途半端というのは、何より自分を出し切っていないのである。

自分の本来の底力を全部出し切ることが人事を尽くすことである。

その人事を尽くすとは目の前のことに真剣に取り組んでいくことや、当たり前のことにも手を抜かずすべて自分の使命だと何より自分を信じて遣り切ることである。

自分に与えられた条件や内容が自分にとっては都合が悪いものであれ、それは自分に必要だから与えられたのである。自分が役割を果たしなさいという周囲の真心で下った命令なのである、だとしたらそれを本気で取り組むことこそが何よりも自分の天分を活かすことになるのであろうとも私は思う。

中途半端の弊害とは、天を活かせないのである、周囲を活かせないということである。その中途半端から使命達成の生き方へと転換し周囲を信じるためにも自分が遣り切るのだと信を決心することである。

今の自分が生きているのも何かをしているのもすべては周囲の御蔭である、その御蔭で自分があるのなら当然自分が周囲を活かすことで恩返しができるもの。そしてその恩返しとは、自分が周囲のためにも脚下の使命を遣り切ることであろうとも思います。

最後まで遣っているととても不思議なことが沢山起きます、そして感動の日々、充実した豊かな感謝に満ち、何より偉大な見守りを感じるものです。

その入口として、何でもやってみなければ分からないそして何事もやり遂げた後しかその真意は掴めない、だからこそやるならやるのだと語っていきたい。

子ども達にもそういう信じ続ける事、守り続ける事、自分が主体として生きる楽しさと面白さを見守る環境を通して継承していきたいと思います。