心を開く

本音や本心というものを自分からさらけ出していくことは大切なことである。

人は自他を欺くことで次第に本音本心で語ることができなくなっていくものである。例えば、知らなかったことをそのままにしてしまい聴こうとしなくなっていくのもそういうところから自分の心や意のバランスが取れなくなってしまうからである。

その人の周りにその困っていることを同じ目線と立ち位置で共感でき何でも正直に相談する人や、何を言っても何を言われても大丈夫だと思っている人が身近にいることはとても大切なことで何かの事象を自分だけで全て考えようとしてみてもその心と意の間に曇りがあれば正しい答えを選択判断していくことができなくなるのだと思います。

全部丸ごと一人で考えることはできません、それはだいたい悩みの問題は人と人との間に起きていることだからです。

だからこそ身近にコーチやコンサルティングが必要なのであり、それはそのパートナーと様々な話をしながら解決していくことや一緒に取り組んでいくことができるからです。

何でも責任感から全部一人で解決しようとしても、結局は全部を一人では解決できないことを独りで背負い込んでしまうのだから最初から一人でやろうとしなければいいのです。しかし人はその立場や職責などから、次第に無理をしたりさせたりすることで狭い世界へととじ込み追い立てられてしまうことがあります。

そういう時こそ自らの心、つまり融通無碍に全体を捉える感性が鈍らないように、本音や本心を出しても大丈夫な状態をこの現実に自分から持っていこうとすることが必要なのだと思います。

しかし実際は、今の時代はみんなそれぞれに困っているはずなのに正直ものが馬鹿を見るといったような風潮があり、すぐに大切なことを言わず体面体裁上のことばかりを取り繕ったりする話が沢山出てきます。

そしてそれで時間をかけていれば対話や会話をしていると勘違いしている人たちもいます。

本来、人間は思っていることを正直に話したり分からないことを素直に分かりませんといえることを美徳としてきました。皆が意識をして正直でいることで和を尊ぶということを昔から大切に日々の生活で意識してきた気がします。

私も小さい時から祖父母や自然に正直でいることを教わりましたし、素直でいることをずっと諭された記憶が残っています。近所の怖いおじさんも自分を遠慮なく叱咤してくれる人も、言いたくないことでも愛情を持って怒ってくれる人も全ての人のその真心が今の自分の先生だと思っています。

今があるのはそういう私に恥をかかせたくないと思った愛情から発した行為だったのです。

なぜ自分から心を開く必要があるのかは、その先に人が信じあえる命の繋がりを味わう素晴らしい世界が待っているからなのです。仲良く助け合い睦まじく思いやりを持ちながら生きていけることほど幸せなことはありません。

「聞くは一時の恥、聴かぬは一生の恥」ではないですが正しく聴けるようになることは自分の心を丸ごとさらけ出すことができる人であってはじめてできる境地であるのだと私は思います。

この「聞く」と「聴く」の字にもあるように、聞くのではなく聴くことができるかということを説いているのであると思います。心からになるには自らが恥をかこうとしないと聴けないのです。

それができないのは何か否定されるのではないか、何かを思われるのではないかと相手や周囲を疑うことや知ったふりをして自分の心意を閉ざすのはまだ本心本音の素直さや正直さが出てきてはいないということになっているのだと思います。

別に知らないことは恥ずかしいことではなく、知らなかっただけだと思います。そして分からないのは恥ずかしいことではなく、ただ分からなかっただけだと思います。

ただそれだけの話です。

其処に余計な感情や偏見を入れないようにすることで「分かりません、教えてください」という真心、その正直さは自然に引き出されてきます。自分から分かろうとしていけば人はみんなとても親切な人です。怒ってまで教えて下さる人も意外とまだまだたくさん残っているものです。

自分から素直になっていくのは自分から丸ごと心を相手に開いていくことを言います。心を開いていくことではじめて人間関係は透明な揺るぎない繋がりを得るのだとも思います。

怖がらずに心を思い切って開いてみる事で生き方は変わるのだと思います。世間は正しい、身近な人たちはすべて正しいと思ってみることから実践していく日々を楽しみたいと思います。