他人と話をして見聞きしていると他人は自分の分からないものをたくさん持っているということには驚くことばかりである。どうやったらそうなるのかまったく見当もつかないようなことを自由に発想し、それを提案して遣り遂げる。
世界中の新しい公式も法則も、その時代時代で自由に変化し融通無碍に変わっていくことを思えば新しい概念とはそういう自分らしい自由なところから起きてくるのだろうとも思う。
今までの自分の古い価値観に縛られてしまうと、自分がどうしてもその概念から抜け出せなくなる。そしてそれが自我の執着などとくっ付けばより狭い世界に留まり視野が狭くなって頑なってしまうものである。例えば、日々の仕事でも組織のことでも、または目さきの工夫でも実は新しいものの中ではなく古い価値観を通じてしか追加居ないことに気づくこともある。
なぜなら新しい発見とは、正直で素直でなければ見出すことができないからです。
自由に何物にも囚われずにまったく誰も考えもしなかったことを思いつくことであったり、もしくは既成の概念に縛られない融通無碍の境地とは、まるで真っ新の紙に新しく書き記していくことになっていることに似ているのです。途中からいつも書いていたのではその限界が最初の時点で決まってしまうからでもある。この真っ新になっていることが素直であり自由であるのだと私は思います。
しかし人はすぐに過去にしばられ、周囲を気にし、先に入れた知識が壁になり、そして無難を目指してしまい不自由な中での自由を必死に目標にしてしまうのです。
もっと概念や過去の失敗や、その時代の間違いなどを恐れずに今の時代に必要な課題を新しく切り開いていく勇気が必要なのだと思います。なぜなら過去を恐れて未来に不安を感じ、今を失っているような生き方をしていたらそこに本当の意味での自由は手に入らないからだと思います。
自分の自由は、好きなことをやることだけれどそれは何にも囚われずに好きでいる事、好きなままでやっているということなのである。それを正しく社会貢献のために活かし使っていければこんな幸せなことはないのです。
そしてそういう何でも自分の好きを正しく貫いていくには、柔軟性が必要なのだと思います。この柔軟性が自由でいることの証なのだとも思います。
例えばこれからの時代は、時の流れと共に変わっていくチームというもの、会社組織というもの、世界経済というものも、今までの既成概念から発展させてもそれは単に過去の産物にしがみ付いているだけでこれからの世代に譲っていくにはあまり価値もありません。
新しい時代はどうせ新しい世代を創造し、真っ新にしていくのだと思います。
そして私の役目も新しいカタチを創造していくことであり、それこそが本当の楽しみであり私の好奇心のもっとも輝くところです。
きっと子ども達はきっとこれからの未来、すべてのことを新しくしていくことになると思います。
世代を超えていく中で大切なのはその自由な発想なのだと思います。
何をやってもいい、好きにやってもいい、それが失敗だったりしてもいい、新しく挑戦していくことこそが変化であると思います。
変化を楽しむ心は自由な心であり、自由はすべてに素直であることに尽きるのです。
天与の才を活かし、天与の使命を果たし、天与の繋がりに生きれることは自然であり幸せであると実感します。
子どものモデルになれるよう挑戦していきたいと思います。