人間は何かしらの繋がりの中で傷ついてしまったことで心にトラウマを持ってしまうものである。論語に自分のされたくないことを人にはしないことだとあるけれど、それを実践するということは本当に難しいことなのです。人は無意識に周囲の環境の影響を受けるのだから、自分のことで一杯になり余裕を失えばすぐに周りを思いやることができなくなってしまうものなのです。
これは特に社会の影響をより濃くうけ、さらには教育により適用されればそうなってしまいやすくなるのは仕方がないことでもあるのです。本来は皆の心には優しい真心があり、そのことから画一されて孤独にされたことから繫がりが見えなくなり自分を守ろうとしてしまうのはこれは誰でもそうなるのは当たり前でもあるのです。怪我をすれば痛いのだから痛いのは嫌だからそれを避けたり防いだりするのはそれが本能だからです。
しかしなぜ今、そういうトラウマを受ける人が今の社会の中で多いかはこの不自然な関係性から様々な事件があり、その中で正直に自分と正対する中で人は和を尊び睦みあうことの大切さをもう一度思い出し学び直していくことが必要になってきているからです。
もともと人と人と間の問題はほとんど「繋がり」に関係していることばかりです。
繫がりが澄んでいればおきないことも、循環と同じくその繋がりにしこりが溜まることで流れは悪くなるのです。
繫がりが観えなくなってしまうときはではどういう時かといえば、自分中心に物事を考えてしまったり、相手のことを疑ってしまったり、自分が傷つくことを恐れたり、自分らしさという安心な姿を見せることができなくなっていたりするときにそういう状況は起き、そのことから不安や恐れを感じてしまうからなのです。これをもっと簡単にいえば全体の繋がりの個ではなく、画一に切り分けた独自の孤のことばかりを思うとき人は全体をあえて観なくなるのです。
そしてその反対に全体の繋がりが観えるときはどういうときかといえば、まずは全体から物事を考えたり、周囲を信じていたり、自分のことよりも相手のことを思いやり、いつも正直な自分のありのままな姿でいることができる環境のときにそれは顕われ、自分が全体との繫がりの中で活かされている実感を覚えて安心するのです。この全体との繋がりを通して許し合うことも認め合うことも自然にできるのは、それが決して何とも分かれていないということを悟るからなのだと私は思います。
これはほとんどの人に同じことがおき、みんな実は不安を恐れるから信じることを諦めてしまっているともいえます。みんな不安で恐怖を感じているからこそ表面上の付き合いや本音を出さなくてもいい環境にしてしまっているのです。誰かが決めた押し付けの役割分担ではないけれど、組織も同じく立場や状況の型に押し込められ無意識にそういうマネージメントで運営されてしまうこともあるのです。
しかしもしこの繋がりを信じることを諦めれば自分の個性を真の意味で活かすことができなくなります。
なぜなら自分を活かすとは独りだけで無人島にいてもそれはできないのに似ています。単に独りだと全部独りですればいいし、自分がどんな役割があるのかなどわかりません。しかし周囲がいることで、自分がどんなことが得意でどんな個性があるのかを知ることができるようになります。重たいものが誰よりも持てる人は集団の中で力持ちになり、手先が誰よりも器用な人は集団の中で物づくりなどを担います。こうやって自然に個性は発掘され、集団の中で自分を活かせることで貢献と共生の歓びを味わい自分らしく幸せに生きられることになるのです。
この自分らしくいられてもいいというのは、実は全体の繋がりの中ではじめて感じることができる境地なのです。
それぞれが独自に自分らしくというのは本来在り得ず、それを勘違いするとただの自分勝手になってしまうこともあります。全体ではなく自分だけで自分らしくしてもそれは自分都合であるので自分勝手になるという意味です。そうではなく自分自身が全体の集団の中で何のお役に立てるのかを考え、皆の意見を聴き、その自分を自ら集団に活かせるように貢献していくことこそが真の個性の発見と活用であるのだと私は思います。
人は独りでは活きられません、それは人は集団で自分を活かすことではじめて活きることができるからです。
そして自他の幸福のためにみんなのお役に立てるよう、みんなが安心して一つのことに取り組んでいけるように自らが周囲を恐れず心を開いていくのは「勇気」なのです。
そしてその勇気があれば愛が顕われ、愛が出てれば自然に日本人の大切にしてきた和の心に周囲も自分も包まれていきます。
つまりは、懐で見守られていることを実感できるのです。
私の使命としても、もっと自然に安心して暮らしていけるような社会を創造するためにもっともっと学び実力をつけていきたいと思います。みんなが幸せに暮らせる世の中を信じてまずは自らが勇気を出して心のままにあるがままを認めて繋がりに光を当てていきたいと思います。