子ども第一主義を掲げ歩んでいく中で、自分が如何に子ども達と関わっているかを考えることがある。子どものことが大好きで、子どもの可能性を信じている自分が今の仕事との出逢いを引き寄せ新しくしていく世代への譲り手になっていこうと決めたことがからがはじまりでもあった。
会社を創業したとき、子ども第一主義を決めたのは子どもの夢を失わせたくなかったこと今の大人たちの苦しみや悲しみを感じ切ったことでこのままではいけないと思い、子どもの憧れる会社にしようと思ったことがキッカケだったように思う。
しかし実際は、会社というものに囚われ周囲の価値観の中で揉まれだんだん小さくまとまってく自分に本来の自分の姿を見失いながらそれでも根っこは土中へはり続けた御蔭で今の自分があることを思い出すと数多くの出逢いの中で信念が導いてきたことへの感謝に満ちます。
人は志高く一生懸命に真心を籠めて生きれば、自然に道が開けていくようにも思います。
子ども達は今、何を夢にして生きるのでしょうか。
弁護士になりたいや司法書士になりたい、サッカー選手になりたいなど、夢ではなくその夢の手段を夢だと思いこまされ資格を取得したりいい大学にいけば夢が叶うとさえ思いこまされ、実際の夢とはかけはなれた生活を送ってしまっている人もいるのではないでしょうか。
子どもの頃の夢とは、誰も死ななくていいとか、優しい人たちがたくさんいるくににするとか、たくさんの人をすくいたいとか、世界をへいわにするとか、そんなのばかりだったのを思い出しました。
私も子どもの頃、もっと自由に目的や目標に向かってやってみたいことをやっていたように思います。子どもながらにやってみたことが、大変な思いも一杯しましたが今ではその思い出とワクワク感が新しく挑戦したいと思う自分の最大のモチベーションにもなっているのです。
子どもの頃に自由にやってみたいことをやらせてあげるということは、それ自体が夢を探す旅であり、夢を発見していく道程になっていくのだと思います。大人は何かがあれば、すぐにダメだとか無理だとか否定し、すぐに手段ばかりや方法論ばかりを子どもたちに考えさせることを夢を奪っていきますがそんなことをしていいのでしょうか?
そうしていることで自分自身の夢すらも見失ってしまうのではないでしょうか?
本当は、自分にもやってみたいものがたくさんあるのではないでしょうか?
それをもっと堂々と子どもたちの前でやっていけばいいのだと思います、そしてそれを堂々と語り、夢はすぐに持てる事、今の自分が夢であることを示してあげればいいのだと思います。
学校教育で教えているのはあくまで手段や方法であり、その夢は子ども達が自然にやってみたいことややりたいことの中にあるのです。それをどう保障し見守るかが本来の教育者の役割ではないでしょうか?
一体、どうしたのだと思ってしまうような環境がある中で今の自分の使命がはっきりしてくるのは子ども第一主義だからであろうと思います。もう時代は変わり、古い世代はどうあるべきか皆で考えた方がいいと思います。この閉塞感を生み出しているのは一体だれか、それを大人は思うことだと思います。
人は役割があるのだから、新しい時代は新しい世代が切り開いていくように譲っていくことが今の大人たちの真の役割であるのです。もう固執して居心地がいいところにいつまでもしがみ付かないようにしていけばいいのです。
あるがままの子ども達に地球の未来と私たちの夢を任せていくことなのです。
私自身、子ども心に戻ればまだまだやりたいことはたくさんあるし、大人になった子ども心ではやりたいことを絞り込まないといけないし、色々とありますが最も大切なことは夢を持ち続けていることだと確信します。
人々の真の夢を乗せて、新しいステージへと向かっていこうと思います。