新しく何かをはじめるということは、今までのことから考えるのではなく一度それをゼロベースに戻して自らで考え直すというプロセスが必要になる。
どこか自分が正しいと思い込んでいたり、自分がやってきたことが正しいはずだと無意識に縛られていると一向にその刷り込みを取り除くことができなくなりそのものの本質を捉えていくことができなくなるものです。
本質的に生まれ変わるには、様々なものを最初から再定義していく必要があるのです。
それは、例えば何処からやればいいかと言えばまず自分自身からはじめていくものでもあります。自分がどうしていくのか、どうあるのか、何をするのか、どんな役割なのか、その全てを今までと一変して新しい存在として自らが再定義できるかということでもあるのです。
この再びという字、再会、再考、再現、再発などの意味は「もう一度最初から」ということなのです。
すべてを最初からやり直すというと、何だかとても悪いイメージを持っている場合が多いのですがそれは今までやってきた苦労が報われないからや、今までの時間をかけたことが無駄になると思ってしまうからであろうとも思います。
しかしそれは本当にそうでしょうか、実際はそうではありません。
単に自分を変えたくないからなのです。
せっかく慣れ親しんだ自分のやり方を変えようとは思えていないのです。
子どもの頃、何でも挑戦してやっていくとき何度も何度も失敗して、その都度、「最初から」やり直して次第に実現できるようにになったのではないでしょうか。それは絵を描くにしても、物を作るにしても、何かをできるようにするのにも、何度も繰り返し「最初から」やり直さなかっでしょうか。
これがちょっと経験を積んでいくと、めんどくさいことを覚え、知識をつけることで楽を覚え、何かと今の自分のスタイルを守りながらその中でできることだけをやろうと失敗を恐れて窮屈になってしまうものであろうとも思います。しかしそんな風に、最初からではなく途中である今のままで少し努力をなどと過去に固執すればいつまでも何が間違っているのか、どうしていけば改善できるのかなども分かることはないのです。
この最初からやり直すことは生死と同じくとても意味があるのです。
そうやって人は何度も何度も生まれ変わる中で挑戦して、日々に新しくなっていくのだと思います。
何でもそうですがこの学び直し、考え直し、見直し、その全てはちゃんと「直し」になっているか、それは再出発や再定義ということをやろうとしているかという自分の覚悟が何より大切なのです。
今は、断捨離が流行っていますが時代の節目や変化の大きな中で自らがそういうことができなければ変化に取り残されてしまうのです。その時、捨てられないのは今までの自分に遣り方に固執していることがほとんどなのです。今までの遣り方を捨てるには、最初からやり直すことがいいのです、それはもう一度ゼロベースからリセットし最初からもう一度どこかに不具合があるのではないかと注意深くニュートラルな状態のままに取り組んでいくことだと思います。
その際、きっとまた今までと同じ長い時間がかかると思ってしまいがちですがそうではありません、やればやるほど短くなってくるしさらに質も上がっていくのです、そして新しい形を生み出すことができ新しい遣り方や新しい自分に自信が持てるようになるのです。
子ども達が諦めずに何度も挑戦しているように、私たちも挑戦していかなければなりません、もう善くないと気づいたことに対して諦めてはいけないのです。
再挑戦や再出発とは、挑戦しなさいという天の啓示なのだと私は思っています。
子ども達のためにも、新しい学びをして少しでも多くのものを譲り渡していければと思っています。