先日、仕事は自己管理であることを深める機会があった。
正確には「自律」ということであろうと思うけれど、自らのことを自らで管理できるかというのは人生を自ら納得していくことのためにもとても大切なことであると私は思う。
例えば、ちょっと嫌なことでもそれを自らで律して実行することができる人はいつもちゃんと流されずに正しく日々を積み上げていくことができる。そうではなく、すぐに嫌なことから逃げて避けて通ろうとばかり考えている人は、いつも自己管理ができず流されてしまうから日々がまた積み上がることが亡くなるです。
この日々の積み上げというものはとても大切なことで、人生はこの日々そのものといってもいいのだからどのように過ごしたか、またはどのように決めたことを遣り続けたかということは自分丸ごとの人生をどのようにするのかを自らでコントロールしているかどうかにもよるのだと思います。
自分をコントロールする力というのは、幼少期から身に着くもので大人になってもそれができない人はいつもそのことで人生が好転せずに苦労しています。小さなことを遣り続けるというのは、続けている間が決意が維持できているのであり、継続するということそのものを力であるというのだと思います。
本物は続くという言葉もありますが、本気、本心、本音、本格、本当、この本がつくのは自らを欺かず自らを偽らない正直で素直なところでそう本意であるから可能になるのだと思います。
この自分というものをどう慎むのかというのは、人生を自らで自己管理するために必要なのだと思います。誰かのせいにして、何かのせいにして、いつも言い訳ができるところで何かをやっていることほど寂しい人生はありません。
大切なことは、誰にも言い訳をしなくてもいいくらい自らを善く知り自らと素直に対話できていることだと思います。それは感情と心との調和が保たれているとも言いかえることもできます。つまり何を自己管理や自律と定義するかとうのは、全体が善くなるために自分の感情と心に素直に折り合いをつけていくようなことを言うのだと私は思います。
人は皆外部の影響を色濃く受けてしまうのだからこの自己管理や自律ということを幼いころの環境を通して子どもに身につけさせてあげることが思いやりであるのだと思います。幼いころの苦労は買ってでもしろではないですが、環境に言い訳しない人になるということはそれだけ大事なことなのだと今では思います。そして自然の傍でそういう全体との繫がりを学んでいくことで人は自分勝手では生きられないことを学びこむのだと思います。
特に今のような不自然な中に住まうのだから、自然を如何に修めるかというのは新しく学びの項目に追加してもいいほどではないかとも思っています。
引き続き都会と行き来する中でより善く自然から学び、その厳しさの中でどのように日々を積み重ねているかなどもう一度自然から多くのものを学び直していきたいと思います。