吉田松陰の留魂録があり、高杉晋作との関係も含め改めて繰り返し辿りながら見直してみるといろいろな改めてわかってきます。
天と通じる真心で誠を実践し続けた先にその生死を超越した本分を尽くしたことに私たち人間はとても魅了されます。
人は、それぞれに寿命があり長くても80年くらいで短ければこの世に出でてすぐに亡くなってしまう人もいます。事故であったり病であったり、その他様々な理由で人はその天寿を全うするのだと思います。
その天寿を全うするにおいて、如何に自分が天から何を命じられているのかを知りそれを純粋に遣り尽くしきっていく姿そのものが天を信じる人、つまりは至誠であるからにして周囲からすれば畏怖すらも感じるほどに尊敬されるのだと思います。
人間も生命なのだから天や自然に正対するとき、そこにとても威厳や荘厳といった畏敬を思うからです。
この吉田松陰と高杉晋作の死生観の共有しているものがひとつあります。
もともとこの二人は、心の友でありそれは本人たちも書き記しています。
松陰にして、晋作だれよりも私の心を知ると言い、晋作も先生をずっと慕いてようやく野山獄といった言葉もあるように、二人は何よりもその志において同一化していったのだと思います。
そこからその死生観を示したのが易回転の源泉になったのだと思います。
その二人の、邂逅の手紙の中の一説にこう書かれています。
「貴問に曰く、丈夫死すべき所如何。僕去冬巳来、死の一字大いに発明あり、李氏焚書の功多し。其の説甚だ永く候へども約して云はば、死は好むべきに非ず、亦悪むべきに非ず、道盡き心安んずる、便ち是死所。世に身生きて心死する者あり、身亡びて魂存する者あり。心死すれば生きるも益なし、魂存すれば亡ぶるも損なきなり。又一種大才略ある人辱を忍びてことをなす、妙。又一種私欲なく私心なきもの生を偸むも妨げず。死して不朽の見込あらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつでも生くべし。僕が所見にては生死は度外に措きて唯だ言うべきを言ふのみ」
私の意訳だけれど、「あなたは私に問いました。志士として死ぬべきところはどこでしょうか?と。昨年の冬からずっと投獄されてからその死について私は大きな気づきを得たのです。これは李氏焚書にあるようなものです、その内容は長いものなのでそれをまとめれば、死は好んだり憎んだりするものではなく、道の実践が尽き心が安んじるときこそ死に所とあります。世の中には、生きていながらもまるで死んでいるような人たちもいます。そして、たとえその身が滅んでもいつまでも魂が生き続けている人もいます。実際に心が死んでいるようでは、生きていてもあまり意味がありませんし、魂さえ生き続けているのならば例え死んだとしても意義があります。また、偉大な人物が恥を忍んで辱めを受けつつも竟にはその大事を為してしまうのはとても不思議なことです。そしてまた私心私欲がない人の生涯は決して誰にも邪魔することができないというものもあります。つまり言いたいのは、”死んでも不朽の見込みがあるのならばいつ死んでもいいのです。そしてもしも生きていた方が大業の見込みがあるのならばいつまでも生きていればいい。”私が言いたいのは、生死は考えずに『一心になすべきことをなす』だけでいいのだということです。」
以上のことから自然の中で天命に生きるということがその死生観であろうと私は思います。
天は妙なるものがあります、まるですべてを見透かしたかのようにすべての出来事をまるですべてを知っていたかのようにふるまってきます。その都度、自分の小さな浅はかな考えが如何につまらないものであったのかを思い知る日々です。
そしてこの今もまた、つまらないことに囚われてしまう自分があるのです。
死生観を持ち、歩み続けるのは道の心得でもあるのだと私は思います。
その道の心得を持ち、共に歩み続ける事ができる同志がいることに無常の安心を覚えます。
私が心惹かれるのは、その道の心得でもあるのです。
どのような時代に何を為すかわかりませんが、天命を学び燃焼しきっていきたいと思います。