自然から離れて都会の人間が主になっている世界に住んでいると、自然から遠ざかる感覚がはっきりしてくる。
例えば、田舎の土や川、その他の山々にいれば獣の様子や植物の様子、またその周辺で自然と寄り添って生きている人々の息づかいを感じられ、そのことから春の気配や、気候など自然の流れや存在を身近に感じることができます。
しかし都会だと、そういうものはほとんどなく無機質に同じことを繰り返しながら周りの人を見ては日々の繰り返しの中であっという間に雑踏や喧騒にのまれてしまいます。
その自然と人間を行き来する中で、自然を感じながら人間の身近にいて、人間を感じながら自然の身近にいることはとてもこれから大切になっていくのだろうと思います。
私たちは錯覚しますが、何でも人間の都合よくいくことはないのです。
そしてもう一つ錯覚しているのは、何でも自然の通りでもないのです。
このバランスを如何に保ち、この世界に生きていくのかを思うとき、生きる力は一体何であるのかを思うのです。子ども達は、自由にこの世の中で生きていくのに何を先生にすればいいかをすべて知っているように私は思うのです。
例えば、親からは絶対的な愛を感じるように、自然からは絶対的な慈しみを感じます。
そしてまた親からは寛容ということを学び、自然からは受容というものを学びます。
常に私たちは、何をお手本にしているのかははっきりしているのです。
それを知識豊富な文明人は、さも科学的に証明されているかのようなねつ造された原理を真理に挿げ替えて本質でいることができないようにし、子ども達の本来の生きる力を奪っているようにも感じるのです。
子どもを自然にさせておくとは、決して放任することではありません。
子どもは自然に育つのです。
その自然と一体になっている人間が、正しく子ども達を見守る環境を用意してあげることができるかはこの先の子ども達の世界を譲っていくことになるのです。
今は私も都市化された中で、様々なものを学びながらかんながらといった自然を観ています。
今年も、自然に習い真心の種を蒔いていきたいと思います。