子どもは親の鏡というけれど、その親の姿で子どもはいかようにも変化するものです。
厳父と慈母というものがあります。
厳しくすることと慈しむことはセットで存在しているのです。
そしてそのバランスの中で、子どもは自立ということを学ぶのであろうとも思います。
自然界も厳しい大自然と母なる慈しみの大地の恵みの中で生き物は育ちます。現実には、生きる力というものや自分で発奮して乗り越える力というものはそういった厳しさと慈しみの中で自ら学び、自ら獲得していくのだと思います。
子どもから見ても、厳しさというものを避けたり逃げることは甘えられるということです。
そして慈しみというものを感じられなければ、不安になり孤立してしまうということです。
どちらにしてもここから私たちは一体何を学ぶかというのは「愛」であるのです。
私は以前、顧問だった方にそのことを何度も教わりました。
何度も言われてもわからないことは体験すると理解できるようになります。
しかし 実践は難しく、その両方を意識すればするほどにできなくなるものです。
つまりは愛というものは相手を見てやることではなく、自分が愛であることなのです。
経営者だけではなく、親というものはすべてに愛が必要です。
その愛は、時には厳しく、時には優しく、いつも子ども達を愛で包みます。
そしてその子ども達は愛を感じていつの日か、懐かしくも思い自らが実践するのです。
過去の色々なトラウマから愛を感じられなくなっている人もいます。
そういうときは、厳しさと慈しみの中に自らを置くこと、つまりは自然な姿を思うことです。
社会や世間の中で、または組織の中で生きていくには厳しさから学ばなければなりません。
そして人を信じて大切なものを守るのは、慈しみや悲しみを学ばなければなりません。
身近な大人の姿でそれを感じ、子どもはその両方の実践の姿から愛を学ぶからです。
厳父と慈母には経営者としての学びの本質があるのです。
今こそ遠慮せず自然体で愛を発動していけるようあの課題に正対します。