足るを知る心と、足らざるを知るという心がある。
ここにそのどちらにも共通するものが存在していることが分かります。
地に足を着いてとはよくいうもので、やはり心がけが地道でなければ不明を恥じるのです。
まず足るを知るには、今、どれだけ自分が恵まれているのか、どれだけ周囲の環境の恩恵を享受されているのか、どれだけ有難い存在に見守られているかと思えば次第に感謝の心が込み上がってきます。人は目先の自分の欲が果たせないことに執着し、感情が前後左右されとても苦しむものです。足るを知ると思えないのは、自分の思いに呑まれているからともいえると思いますがこれを打破するのはそれよりも包まれていることを感じることだと思います。
そして足らざるを知るというのは、今、自分自身の不肖をどれだけ恥じているか、どれだけ自己中心的かと気づいているか、どれだけ生き方が傲慢になっているか、自分自身の未熟さで他人様にどれだけ迷惑をおかけしているか、自分に矢印を向けて自己錬磨されていない自分を知るということです。こういう謙虚な気持ちになっていれば、次第に感謝の心が込み上がってきます。足らざるを知ることができないのは、どこかまだ誰かのせいや何かのせいにして言い訳をしている甘えた気持ちが残っているからです。これを打破するのは、すべての問題は自分にあるのだと気づこうとすることだと思います。
この足るを知るも足らざるを知るも、一本の共通の糸で紡がれています。
それが「感謝」であるのだと思います。
感謝の心で生きていくということは、その両方を生きていることになっているのです。
感謝の心でとは言葉では簡単に言えますが、実際は地に足を着けていないとそうならないのです。日々の生活や暮らし、営みの中で以上のような実践が持続し続け、頭で生きている自分の妄想から目覚めるかということなのだろうと思います。
忙しい時はなかなかできませんが、それでもそういう時こそ修行のチャンスでもあります。
知足着実にかんながらの道の歩みを真心と感謝とともに取り組んでいきます。