今の時代は、何かを自分で作ろうとするよりも購入した方が早いという。
それにまだまだ捨てずに使おうとするよりも新たに購入した方が早いともいう。
これは物が増えてすぐに手に入るということを意味していて物がない時代ではなくどこからでも自分の欲しいものが簡単に購入できるようになっているという証でもある。
かなりの田舎でなければホームセンターがあったり、大型スーパーマーケットがあったり、ドラッグストアがあったりと、車で少し走ればどんなものでもほとんどが手に入れることができます。
一般的に生活の中で必要なものはほとんど用意されていることを意味します。
そこで必要なのは、お金ということになります。
ここ最近、なかなか手に入らないようなものを探していて気づいたことがあります。
例えば、昔の農機具だったり、原種の種や虫、品種改良されていない烏骨鶏の雛、土壌発酵用の菌などもそうですがインターネットをフルに活用して、探し出せばまだまだ取り扱っているところもたくさんあります。それに何かを自分で作ろうとしたり、何かを自分で育てようとしてもまったく未知の世界であるからそれを教えてくださる智慧もまだまだ残っています。
しかしそれでも手に入らないのは、地元の農家の方々や知人、友人に訪ねて探し求めていくのです。先日も原種の気候にあった大豆の種も、探していたら地元の方にいただけることになりました。
そう考えると、昔は人づてに探していたのでしょうし、次第にそれが物々交換を生んでいたのではないかとも思えます。
私たちが今、豊かと呼ぶものは実はあまり物がないところにあるのかもしれません。
私たちが豊かだと定義するものは、昔は物がないからこそあったのです。
しかし今の時代は、物が存分に溢れています。
だからといってかつての物がない時代の豊かさとは、私たちの今のような裕福な生活が豊かさの象徴だったのでしょう。
我々の今は真の豊かさについて考え直さなければなりません。
それは物があろうがなかろうが、人との絆、繋がり、そして共感や思いやり、手間暇や人づて、助け合い、守り合い、分け合いしていくこと、そういうことをもう一度学び直して、物があろうがなかろうがそういうものを正しく維持継承していくことが子どもの未来に直結していくことだとも思います。
真の豊かさは常に生き方そのものに顕われてくるのです。
真に豊かになりたいのならば、その生き方を変える事です。
具体的に生き方を行動にしていくことは小さなことでも、豊かさは大きく膨らんでいくのです。
せっかく大変なのだから、むしろ真底から生きる豊かさを味わっていきたいと思います。