成長は螺旋的に行われているとも言われている、そうすれば一つの円を廻り続けながら次のステージへと周りながら成長し続けているということにもなる。ちゃんと走った分だけ、次に回る円へと移動していくという具合であろうと思う。
例えば、その中で起きる事の一つに周回遅れというものがある。レースやマラソンとかではよく見るけれど同じところを走っている気になっていても、実際は自分が周囲と比べて何周か遅れてしまっているという現象である。
事故や脱線から走りに着いていけなかったり、正しい速度で周囲と走らなかったりすると起きる事だけれど、自分は同じところを走っているつもりでも実際は違うところを走っているという現象が起きているのである。レースでは決められた数があり、何周目かを表示されることで自覚することになる。
これはレースに限らず、様々な場面で起きる事です。
この周回遅れというものは なぜ起きるかといえば、自分で考えず他の考えを鵜呑みして自分の足で正しく走らなかったり、本質を捉えず問題や課題を避けて通ろうとしてしまうことで停滞したりまわり道をしすぎてしまい起きるということもあります。
こ一昨年訪問したオランダで同じように感じたことだけれど、日本の教育界でもオランダと同じ議論が行われているようで実際は何周も遅れているという話がありました。
以前の体験では、現場で子どもの環境の話を海外でするときに子どもにとっての善い環境は子どもが選択できるものだといい、そうだそうだと日本の教育関係者も現地の関係者も話がはずみ共感している場面をみたことがある。しかし実際に、今度は海外の方々が日本に来て実際の現場を見てもらうと、まったくそれがなっていない保育の環境になぜ彼らは先日の視察であんなことを言ったんだ、言行不一致だと不信に思われてしまっていることの方が多い。
話が外から見れば、深まっていそうな議論をしているようでもなぜかズレてしまっているというのは確実に周回遅れが発生しているともいっていい。歴史がそもそもどうであったかなども考えないし、途中から考えていても本質は見えないのです。
仕事でも同じく、分かっていそうで分かった気になっているというのには周回遅れが原因であることが多いのもこれと同じで、刷り込みがあるということなのです。
ズレが分からないからズレてしまっているとも言えるのです。自分で気づけないズレに翻弄されているとも言えるのであり、それは正しく自らの本質を捉えていないから起きるのです。
この刷り込みを取り除くには、心を平らに正しく素直に気づくことで、もう一度新しくスタートからやり直したり、ゼロから話を理解し直したり、現実を正しく受け容れたりと、まずははじめから学び直せるかということでもあるのです。
どちらにしても、周回遅れに自らで気づける感性があれば課題は解決することはできるのです。
ほとんどの人は「今、自分がいったいどこを走っているのか」を無自覚のまま、ただ走ったり走らされていることの方が多いのです。
そうやって走っていても追いつけないのを続けていたら、みんなとのペースも崩れてくるし、周囲との連係もうまく取れなくなるものです。自らが周回遅れということが起きないよう、ちゃんと現在の立っている場所、何周目にいるのか、ゴールまではどれくらいかなど、自らで考え自らメンテナンスすることで世界や周囲の中での自分との正しい距離感を保っていくことだと思います。
つまり本当の意味での周回遅れとは、「今の自分の地点」が正しく分からないということなのです。
目標と地点を正しく理解するためにも心を平らに現実を受け容れ、日々に確認しつつ、正しい今を積み上げられるように怠らず勤めていこうと思います。