思い込みというものを人は一度持ってしまうとなかなか抜け出せないものです。
きっとこうなのだと思い込むと、どうしても他の方法が見えなくなります。
それに思い込むからこそ視野が狭まり、自分の感覚よりも意識に縛られてしまいます。
何度も何度も同じことを繰り返していても打破できないのはほとんどが思い込みであることが多いのです。人の可能性というものは、あらゆることを試すことで広がっていくものです。しかしそれを試す前に、何かに囚われれば試そうとしても間違ってしまうのです。
ある場所に水の配管があると思い込んでそこを掘っていても、実際は違う場所で在る場合はいくら掘っても出てくることはありません。それなのにいつまでも勘違いしてそこにあるはずだという認識を持ってしまうことがあるのです。そうやっているうちに、抜け出せないまま停滞したり時間が過ぎて善くない結果が訪れてしまうということもあるのです。
こういうものを 思い込みともいいます。
そしてそれは自分の考えだけが正しいと思い込んだということなのです。
そしてこれを独善的だといいます。
人が一人で生きてはゆけないのもここからも考察できるのです。
そういうものに陥らないためには、協力や信頼できる自分以外の仲間が必要なのです。
自分の考え以外に正しいことがわかれば、その思い込みが晴れていきます。
そしてお互いをポジティブに疑うことができるのです。
疑うというのもネガティブなものとポジティブなものがあり、協力するときの疑いはポジティブなのです。一人で解決しない、信頼する人と協力する、相談する、一緒にすることが独善的を防ぐ方法になります。
一人でやりなさいという風潮がある社会ですが、信頼できる人とやる事の方が豊かです。
思い込みを持たないよう、信頼を優先していこうと思います。