価値を守るものに「包む」というものがある。
例えば包装紙や風呂敷、その他、木箱や衣服などもそうだけれどその価値がどれだけのものかを理解するものを可視化して周囲が理解できるようになっているのです。
これはもともと価値というものは、人が設定するものですからどれくらいの価値があるものかはその本体自体ではあまり分かりません。もしかするとダイアモンドなどもたくさん採れれば、石ころと同じ価値になったりもするし、流行が終わってしまえば値千金の値打ちだったものも誰も見向きもしなくなるものなのです。
だからこそ人がそれに価値を見出し、価値が見えるようになっているのです。
その価値を設定するのは、誰が設定するかというところにもよるのです。そしてそのほとんどは、その人の思想や哲学、そして実績ともいうものであろうとも思います。
どれだけの価値があるものなのか、それは可視化されなければ誰にも観えません。
また時代時代の背景にもよるし、身の回りの環境にもよるものです。
今の都市化された社会では、石油や電力などはとても大事です。
しかし田舎に行けば、道具や自然の環境などがとても大事になります。
自分の住んでいるところでその価値も変わってくるのです。
価値を見出し、価値を値付け、価値を取り扱うには、価値があるものだと理解する必要があります。そしてその価値を守るためには、それが価値があるものだと自分が心底実感し、価値があるものだと接して大切に取り扱うことができなければならないのです。
それが理念というものであるのなら、理念をどれだけ大切にしているかで分かります。
そしてそれが商品であれば、同じくどれだけ大切にしているかで値決めされているのです。
当たり前のことですが、物の価値はその人そのものの価値も顕すのです。これは何よりも大事なことで、簡単に値引きや値下げをしないというのもどれだけそれを大事にしているかということに繋がっているから注意が必要であるのです。
価値を扱うことに向いている人とそうではない人もいますが、探究する心が価値観の質を高めていくのだと思います。大切な文化も大切な民族精神もそのままの価値のままに包み込み、これからも心を一つにして譲り渡していきたいと思います。